2015/8/15,16 世界マスターズ (リヨン)
- M35 110mH(0.991m) 予選 14"69 (-1.6) (1着)
- M35 110mH(0.991m) 決勝 14"05 (+1.5) (1着) =M35日本新、アジア新 [2015WMAC決勝1] [2015WMAC決勝2]
35歳以上で出場できるWMAの大会、出場資格を得て初めて迎えた2014年3月のハンガリー、ブダペストの室内大会では、 1000分の3秒差で優勝を逃し、次こそはという意気込みを持って今大会に出場することを決めた。 何回でも出場できれば良いが、お金の関係、仕事との兼ね合い、家族のことなど、気軽に毎回毎回出場できるものでもないので、 今回で一区切りつけようとの思いを持って今大会に申込み、準備を進めてきた。
出発まで
競技面では、まず、試合を迎えるまでのピーキングの方法を4月、5月に試行してみた。 春季記録会、2週間後に郡市区、その3週間後に関西実業団という5週間で調子のピークを作る流れである。試行がうまくいったので、今回も兵庫選手権から始めて、 2週間後に中国マスターズ、その3週間後に世界マスターズを迎えるという形をとった。ただし、時期や体調や仕事のスケジュール等が全く同じという訳ではないので、 様子を見ながら微調整は常に行った。5週間の流れの中の最初の試合である兵庫選手権は、本来なら調子のピークをもってきて勝負したい大会であるが、 ここでピークを作ってしまうと世界マスターズまではもたないので、あえてピークを避けて、ある意味我慢して出場した。 次の中国マスターズは、マスターズの規格でもあるジュニアハードルでの練習も兼ねての出場であったが、思わぬアクシデント[2015中国マスターズ]。 気負いすぎてか、第1ハードルに思いっきりぶつけてしまい転倒。その際スパイクしてしまった傷を島根県立病院で縫ってもらうという事態を招いてしまった。 これは想定外の出来事だったが、傷口に突っ張るような違和感と、初期の頃は少しの痛みもあったが、なんとか受傷2日後からは練習ができた。
この頃は試合までに怪我が治るかどうかが1番の気がかりだった。怪我が治ろうが治らまいが、速く走れればそれでいいのにである。怪我は必要以上に気にしても治るものでもない。 そんなアクシデントがあったものの、病院の先生がおっしゃったとおり、3週間で傷はほぼ完治、予定通りのスケジュールをこなして、本大会に臨むことになった。 体調は非常に良い。あとは「自分の走りをするだけ」、中国マスターズでの失敗があっただけにそのことを一番大切しようと考えた。 出発に向けて準備には余念がない。適当なガイドブックがなかったので自作したしおりは40ページに及んだ。行程表から移動手段、観光情報まで綿密に調べた。 試合が近づいてくると天気予報を何度もチェック。どうやら雨が降るかもしれない。気温も15度から20度くらいのようだ。スパイクは3足、アップシューズは2足、 ウェアも少し多めにスーツケースに詰め込んで雨対策、気温対策も万全、準備を入念にすることで安心感を得ていた。 今回も航空券とホテルの手配はお世話になっているJTBの方に手配してもらい、アムステルダム経由でリヨンへ向かう。 アムステルダムでの乗り継ぎ時間が1時間とやや短いことが気がかりではあった。
いざリヨンへ
予定通り関西国際空港を出発、関空からアムステルダムまでは13時間のフライトである。機内ではリラックスを心がける。 まず、数日前ひょんな事から買うことになったルービックキューブに取り組んだ。完成したもの面の動きが十分には理解できていない。 本質をつかむのには少し時間がかかりそうだなと思った。続いて機内で配信されている日本の映画を2本見た。 「僕達がいた」、「繕い裁つ人」。映画の世界に浸っていきながら、陸上のことも思い出された。 伊川谷から長田に転勤するタイミングで出場したハンガリーの世界マスターズ室内大会。結果は僅差の2位。 「夢を追え」との思いで母校長田高校に赴任。あれから1年半がたった。再び世界一を目指してはるばるリヨンに向かっている。気持ちが盛り上がってきた。
定刻通りに経由地のアムステルダムに着陸した。しかし到着予定ゲートにまだ他の飛行機が停まっているとの事で、15分程度機内で待たされることとなった。 よって次の便までは約45分。急がなくては。ヨーロッパのハブ空港、アムステルダム空港はとにかく広い。 到着ゲートから出発ゲートまで1km程であろうか、小走りと早歩きで向かいギリギリのところで自分は到着した。 ただ、少し荷物が心配だった。そこからの飛行機は約1時間半。あっというまにリヨンに到着し、不安な気持ちを抱きつつターンテーブルで自分の荷物が出てくるのを待った。 が、悪い予感は的中、荷物は出てこなかった。ハンガリーの時に続いてトラブル発生である。 またしてもフランス(前回はパリの空港だった)でインフォメーションに向かうことになった。 そしてここでも黒人女性スタッフが待ち受けていた。片言の英語で状況を伝えると、電話番号、自宅住所、ホテルの住所を書かされた。 彼女は、遅くても今日の10時にはホテルに荷物を届けると言っていたように思う。その言葉を信じよう。 ただ、そこでもらった紙に「3日後に届かないときは連絡下さい」とも英語で書いてある。これも気になる。 こんな事は度々起こると聞いていたので、スパイクとユニフォームだけは手荷物の中に入れてあった。万が一の事があっても試合には出られるのだが、 荷物のことが気になって仕方がない。でも今はホテルに行くしかない。世界マスターズのためにディスプレイされたリヨン空港をもやもやした気持ちで後にして、 空港と市内を結ぶローヌエクスプレスと地下鉄を乗り継いでホテルに到着した。
フロントに、荷物が今夜届くので届いたら部屋に電話してほしいと伝えて、部屋で休んだ。 その夜はうとうとしながら電話が鳴るのを待ったが部屋の電話が鳴ることはなく、落ち着かず不安な一夜を過ごした。 十分に眠ることはできなかった。荷物が届かなくても不便ではあるが走れるのに荷物のことばかり気にしていた。 眠れない夜が明け、疲れが残る状態で昨日と同じ服のまま朝食会場へと向かった。その前に一応フロントへ。 「ボンジュール」と声をかけ、荷物は届いたかと尋ねると…あった。荷物はそこにあった。確かに昨夜届いていた。 もやもやした気持ちが一気に晴れやかになった。よかった~。これで一安心、ゆっくりと朝食をとった。これで予定通りスケジュールを進められそうだ。
前日練習
予選の前日、この日は競技場までの行き方の確認、TICで受付、軽めの調整練習が午前中の予定。地下鉄を一度乗り換え、バスに乗って競技場までは約40分。 あちらこちらにマスターズ会場の案内が書いてあり、バスにも難なく乗車できた。これで競技場までのアクセスはばっちり。 この日は競技が休みの日でTICは10時オープンとなっていたので、到着してまずウォームアップエリアに行った。 そこでは日本人らしき人が一人練習をしていた。 話しかけてみるとやはり日本人で寺田さんという方だった。 ただしフランス在住なのでフランスチームから出場しているとのこと。寺田さんは日本から来ている平岡さんと行動を共にしており、 ここで知り合ったこの2人にはとてもお世話になることになった。会って間もなくであったにも係わらず、決勝の日の夕食の約束までしていただいた。 一人で行動している自分にとっては本当にありがたい存在となった。
ウォームアップエリアは人工芝のフットサルコートであった。 これほどの規模の大会であれば日本ではあり得ない。 フットサルコートにはハードルとスタブロは無造作に置かれていたので、 人生で初めて人工芝の上でスパイクを履いてスタートダッシュからハードルを跳んでみた。意外に違和感なく練習できた。 これなら明日のアップもここで十分できるなと確認できた。しかも身体は非常に軽い。気分を良くしてTICへと向かった。 受付を済ませナンバーカードを受け取り準備OK。メインの競技場の様子のチェックも済ませて今日の陸上関係の予定は無事終了。 ただ、スタンドに気になる紙が貼ってあった。競技開始の45分前にコールルームに来ればメイン競技場のバックストレートでハードル練習ができると書いてあるようだった。 よし、明日は競技開始の45分前にコールルームへ行こう。
その後は部屋に戻り、午後は疲れない程度にリヨン市内を観光。やっぱりヨーロッパの町並みは美しい。 短時間ではあったがリヨンの魅力を存分に味わった。 明日は8時30分から予選。楽に通過できるはずだが、雨で20度という天気予報が気になる。 どういう形でアップをすすめようか、服装はどうしようかとまたしても直接関係のないところに気をとられている自分がいた。 雨が降ろうが少々寒かろうが、やるっきゃない。「自分の力を出し切る」それしかないのだ。
予選
夜、結構雨が降ったようだったが今はやんでいる。4時30分に起床し部屋で食事、地面が濡れているはずなので、ホテルの部屋でストレッチも済ませてから競技場に向かった。 道中、地下鉄を待っていると一人の黒人男性に声をかけられた。おそらく「スタジアムはこっちでいいのか?」と言っていたので「イエス」と答えた。 彼のリュックには選手の荷物用ナンバーカードがつけてある。「M35 Eliotto」。同じクラスの選手だ。出場種目は何か聞いてみたところ自分と同じ「ハードル」であった。 同じ種目に出場する選手同士握手交わして互いの健闘を誓った。Eliottoは見るからに速そうな格好いい黒人アスリートであった。
ウォームアップエリアに到着、案の定人工芝はしめっている。ただ走るのに不都合な程ではない。 用意周到の私は雨対策にと持ってきていた大きいビニール袋にバックをすっぽりと入れて、雨が降っても大丈夫なようにしてからアップを始めた。 今日は予選、中国マスターズの反省を踏まえて、とにかく気負わず走ることが目標。アップも気楽な感じで進める。 昨日の張り紙で確認した、45分前にコールルームに行けばバックストレートでハードル練習ができるということがあったので、 そこでのハードル練習は少なめにして7時45分コールルームへと向かった。そこで言われたことはなんと、「8時00分に来て下さい」。 あの張り紙はいったい何だったんだ…と思いつつ、予選だしまあいいかとあと15分あったのでトイレに行こうとした。が、トイレの扉がしまっている。 8時00分開門なのでまだ開いていないようだった。これも日本ではあり得ないことである。仕方ないとあきらめるしかない。8時00分になりコールルームへと向かった。 そこでこんな外国選手を見かけた。雨で地面がしめっている事などお構いなしでべったり地べたに座り込んでストレッチをしているのである。 着用しているスウェットはおそらく下着のパンツまでびしょびしょになっているのではなかろうか。にもかかわらず全く気にすることなくもも上げやら何やらとアップを進めている。 これだと思った。彼らは本当にタフだ。何があろうとただレースを走ればいいんだ。お尻をびしょびしょにしている彼に対して、バックの下にビニールを敷く自分。 何とも対照的に感じられた。万全の対策ももちろん大切。これからも私はそうするであろう。しかしこんなタフさも必要なんだと痛感した。 そんな光景を見つつ,少しトイレも気にしつつコールルームで待機していると、今朝地下鉄であったEliottoが何やらスタッフと話をしている。 時間が来るまではコールルームから原則選手は出ることができない。おそらく彼は「トイレはどこだ?」と聞いているようだった。 そしてスタッフに付き添われてトイレに案内されているように見えた。日本の試合だったら間違いなく自分が先にあの質問をしていたはずだ。言葉の壁を痛感した。 まもなくしてから自分もまねをしてトイレに連れて行ってもらった。
コールルームを出発するのは1組ごとにたった。最終3組だった自分はかなりそこで待たされ、 コールルームを出たのはほぼ競技開始予定の8時30分だった。コールルームは100mのゴール付近に設けられていたので、競技場に入るとそこは100mのゴール地点。 そこに荷物を入れるカゴが置かれてあった。そこからの流れがよく分からなかったが、バックストレートで練習してもOKとのことだったのでとりあえずスパイクをはいて Tシャツ、ロンタイのままバックストレートに行ってハードル練習をした。身体は軽い。しかし、ここのハードルのセッティングは間隔がめちゃくちゃだ。 おまけにスタートラインはどこか分からない。明日もあまり期待しない方が良さそうだ。まあいいやと練習を続けているとスタート地点に移動するような気配になってきた。 まだユニフォーム姿じゃないよと思いつつ、ゴール地点のカゴの方まで戻ってTシャツとロンタイを脱いで、ホームストレートを横切りスタート地点まで歩いて行った。 そこでスタブロからの練習を1回行い、予選のレースを迎えた。「気負わず普通に走ればよいだけ」。少し気持ちが入ってなさ過ぎたようにも思うが、 無難にレースを展開、終始やや強めの向かい風を感じたので、いっそう集中力を欠いた状態でのレースとなったが余裕をもって1着でフィニッシュ。タイムは14"69。向かい風1.6m。 流したとしてもタイムが出ていない…。日本の高速トラックとはやはり違うのかも、と思ってしまったがとりあえず予選は通過。今日はこれでOK。予選の結果はタイム順に、
- 1位 2組 Eliotto(英)14"41
- 2位 2組 Emica(仏)14"53
- 3位 1組 Collins(英)14"64
- 4位 3組 Fukuda(日)14"69
その後M40クラスのレースが行われ、このクラスに出場している寺田さん、平岡さんを含む4人の日本人のレースを見てからホテルに戻った。 この頃になると地理的なこともばっちり頭に入っていたので移動も難なくできるようになっていたし、 昼ご飯の買い物も食べたいものをうまく買えるようになっていた。 サンドイッチ(フランスパンの)とサラダをお昼ご飯にして、部屋で少し横になった。 予選のレースでの疲れが結構あったようなので、昼寝をしようと思ったが全く寝付けない。 身体がまだ試合の名残で少し興奮しているようだ。いつもであればすぐに眠りにつけるのに、どうも寝付きが悪い。いろんな事を気にしすぎていたのかもしれない。 4番通過という予選の結果も気になってしまっていた。
結局1時間ほど横になってから、気分転換した方がよいと考え、2回目となる市内観光に出かけた。 リヨンは日本のまとわりつくような暑さは全くなく、からっとしていて過ごしやすかった。歩いて脚が少し疲れたが、リヨンの街を歩くと楽しい気分になれた。 良い気分転換になった。夕方になり夕食の調達もし部屋に戻った。そしてこれまでのことも踏まえて明日の事をじっくり考え、それを全部書き出した。一部を抜粋。
- 決勝で勝つためにやってきた。それが目的。目的達成の手段(様々な準備)が目的にならないように。
- いろんな人達と世界一を約束してやってきた。勝つのは自分。
- 次はない、絶対に今回勝つ。
- ハンガリーでは予選トップ通過で決勝負けた。今回はその逆、予選の反省を生かして絶対勝つ。
- 予選で他の組はほぼ無風、自分の組は-1.6m。それを考えるとトップとの差は0"12秒。自分は明日0"3秒は伸ばせる。絶対に勝てる。
- 今日のレースは終始吹く向かい風に集中力を欠いた。全く力を発揮していない。明日は100%の力を発揮して絶対に勝つ。
- 勝つことだけに集中して、自分の力を出し切る。そのためのアップ、そのための荷物、そのための計画。
- 今日のタイムから(トップまでの差)0"28秒縮めることは簡単。所詮14"4台。自分は昨年14"18、一昨年14"28で走っている。絶対に勝てる。
- 1.「ナガプラ」で金メダルをもらう 2.勝利の美酒を味わう 3.優勝してマスコットのライオンを買う
とにかく自分を洗脳していった。中国マスターズでもメンタル面から来るミスをしているだけに、メンタルが一番大切であると考えた。 その夜は、昼間は寝付けなかったが、散策してほどよく疲れたことや、時差の関係もあったのか、サマータイムでまだまだ明るい20時30分頃には眠たくなり眠ることにした。 昨日、一昨日と比べるとずいぶんぐっすりと眠ることができた。
決勝
決勝のレースは14時30分からなので朝はゆっくりできた。とはいえ昨日はあまりにも早くに眠ったので5時30分には起床し朝食が始まる6時30分この日はホテルの朝食をとった。 パンがとにかくおいしい。野菜がなくハム、ベーコン、卵とフルーツのみだがこれで十分。部屋でもう一度メンタルトレーニングの仕上げをして、 今日はこれで行くと決めていた「ナガプラ」を来て競技場へと向かった。昨日とは違い、この日競技場に着くと400mの決勝が次々と行われていた。 昨日とは盛り上がりが全然違う。 スタンドにはM40の準決勝を終えた平岡さんがいた。 平岡さんからレース前の動きについて、 今日もほぼ昨日と同じだったと確認することができた。 そしてそこでの会話はさっと済ませて、TICのある室内競技場へと一人で向かった。
ここで少し休んでから、ストレッチまでのウォーミングアップをすることにしていた。サングラスをかけて、イヤホンをして、完全に自分の世界へと入っていく。 ストレッチまで済ませたら、人工芝のフットサル場へ。周りのことは一切気にしない。完全に自分のペースでアップが進んでく。昨日とは全く違う。 朝から少し脚が張っていたので、何度かセルフマッサージをしてほぐしていたが、そんな疲れは全く関係ないほど身体が動く。脚の張りなんか関係ない。 そんなことは気にせず「自分の力を出し切る」。これが大切なんだ。完全にその状態に入ることができていた。すべて予定通りにアップを済ませてコールルームへ。 ここでバックにぶら下げていた選手IDがなくなっていることに気がついた。辺りを見回してみたがどうやら近くにはなさそうだ。 しかしこのときの自分は動じなかった。選手IDなんかなくたってどうにでもなる。今は自分の走りをすることだけを考えれば良い。 コールも終わり、昨日と同じゴール地点でユニフォーム姿になって、バックストレートへ。ペットボトルの水だけを持って行った。
バックストレートでは昨日はなかった、選手を集めての説明が行われた。もちろん英語。おそらく、14時25分までここで練習して良いということ、 その後スタート地点へ行って現地で1回だけ練習して良いということ、この2点の説明があった。「現地で1回」という点に関して、数人が不満をもらしていた。 Collinsは今はホームストレートで何もしてないのであっちで練習できるのではと問い合わせていたが、役員の答えは「ノー」だった。 そんな会話を聞きながらも自分は自分の事に専念。そこでハードル練習をする気はさらさらなかった。短いダッシュを2本だけ行った。 これについては長田での最終練習の時に確認済みであった。つまり、まずアップ場でやるところまでやって、 30分休憩を挟んでから本番を想定してのハードルという形でシュミレーションをしていたのだ。このときはダッシュ1本、スタブロからのハードル1本やるだけで十分走れた。 だから今日もバックストレートではダッシュを1、2本、現地でスタブロから1本、これで十分だと確信したので、ここでも完全に自分のペースを保てた。 自分は3レーン、最大のライバルであろう予選トップのEliottoは隣の4レーン。バックストレートで初めてEliottoのハードリングを見ると彼は私と同じくリード脚が右脚だった。 ハードル選手はレーンの中でリード側によって走る傾向があるので、もし左脚リードなら接触する可能性が高かったが、同じ右リード同士なのでそれは回避できそうだった。 とても冷静に判断できた。
靴紐をもう一度しめなおし、念には念を、スタブロの位置を少し2レーンよりにセットして準備OK。 気合い十分、かつ冷静な状態でスタート地点に立った。 レース展開はいつもと一緒、前半リードされても後半逆転すれば良い。そして決勝のレース、フライングなしで一発でスタート。 予定通り出遅れたものの、逆転可能な差。間違いなくいける。後半になり明らかにElliottoが失速してきた。走りながら分かった。 自分はこの8人の中で絶対一番多く走り込んできている。ここから先で負けるわけがない。自信が自信を生むような状態でゴールラインを駆け抜けた。 念願の世界一になった瞬間であった。
すぐに結果は表示された14"05(+1.5)。 自分のハイハードルでの自己記録14"05(+1.2)と全く同じ結果であった。 さらにこの記録はM35クラスの日本新、アジア新でもあった。少し後に振り返って13秒台の可能性もあったんだなとおもったが、この日の自分には勝つことで十分だった。 ブダペストでの惜敗から一年半、予想以上に厳しい展開となったが100%のレースで勝つことができた。2位以下には、2着Emica(仏)14"22、3着Collins(英)14"24、Eliotto(英)14"26 の順となった。ここ数年のマスターズ陸上のタイムと比較してもレベルの高いレースであった。
表彰式
表彰式は決勝のレースの後16時45分からあった。待合室ですっかり顔なじみになったイギリスのCollins(Liam)と話をする。 「2016年世界マスターズ、オーストラリア(パース)大会はイギリスからは22時間もかかってしまうので出られそうにないが、室内では今年も7秒台で走っているので、 2017年室内世界マスターズ、韓国(大邱)大会には出場したい」とのことだった。さらに練習については「この2年間は筋肉がつきすぎるのでウエイトトレーニングをやっていない、 週に3回練習をしている。」と言っていた。私が数学の先生をしているというと「それは日本に帰ったら喜んでくれるね。」と言ってくれた。 私と同じ1978年生まれの彼と英語でこれだけ話ができることが、なんだかとてもうれしかった。 世界マスターズ大会は、陸上という共通点を通じて、世界の人たちとつながれるところだ。陸上だけではない充実感がそこにはある。 4位に甘んじたEliottoは38歳、来年の大会で一緒に走れなければ一つ上のクラスに上がってしまう。 彼とは「一緒に走れて本当によかった。また一緒に走りたいです。」と伝え固く握手を交わした。 表彰後は約束通り寺田さんとその奥さん、平岡さんの4人でフランス料理のレストランへ。楽しいひとときを過ごして、 TGVでパリに帰る彼らを見送ってからホテルの部屋に戻った。
これからのこと
山あり谷ありではあったが、決勝では会心のレースが出来て目標達成。今回は大満足。 さて次はどうしようかとなるが、今年はこの後、近畿選手権、全日本実業団を予定している。シーズンベスト14"36は更新したい。 来年はといえば、今年我慢した兵庫選手権。兵庫選手権を最大の目標にしてV10達成を目指す。マスターズ関係では、2016年オーストラリア、パース大会に行く予定はなく、 その次2017年室内の韓国、大邱大会は近いのでいけなくもないが今のところそれに対する興味はそんなに高くはない。 その翌年2018年はヨーロッパ開催(イタリア?、スペイン?)らしいので少し興味はある。しかしいずれにせよまだもう少し先の話。 35歳になって最初の2回に出場したので今回で一応一区切りつける。次回はM40のクラスになってからか、どうするかは分からないが、 必ずまたいつか世界マスターズに出場したいと感じていることに間違いはない。 長々と体験記を綴ってきたが、最後に、今大会の自分のテーマソングにしようと思っていた曲の歌詞の一部を紹介して締めくくる。
「幻聴」 Mr.Children
やっとひと息つけるねって思ったのも束の間現在8月17日1時36分、アムステルダムから関空に向かう飛行機の中。明朝9時00分頃に到着予定。 その後長田のグランドへ報告に行く。それから家に帰ろう。前述、決勝の後にしたかったこと、
また僕は走り出す
決してのんびり暮らすのが嫌いなわけじゃない
でももう一度走り出す
観覧車に乗っかったときに目にしたのは
地平線のある景気
そこで僕は手に入れたんだ遮る物のない
果てなく広がる世界
- 1.「ナガプラ」で金メダルをもらう ○
- 2.勝利の美酒を味わう ○
- 3.優勝してマスコットのライオンを買う ×
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