2018/9/14,15 世界マスターズ (マラガ)
- M35 110mH(0.991m) 予選 14"72 (-0.8) (1着) [2018WMAC予選1] [2018WMAC予選2]
- M35 110mH(0.991m) 決勝 14"41 (-0.7) (2着) [2018WMAC決勝1] [2018WMAC決勝2]
大会直前の故障に苦しみ、「完走できるか?」というレベルの不安を抱いての出場であったが、無事に2本走りきることができた。 納得のいく走りができた。結果は2位。決して100%満足しているわけではないが、 十分力を出し切り、最低限の結果は残すことができた。 レースを終えたとき、「やりきったぞ!」という充実感があった。この感覚を味わうために、 はるばるスペインまで来て走っているといっても過言ではない。 Damien Broothaerts選手(ベルギー)が強いことは分かっていた。 実際、彼は向かい風の中、私の自己記録を軽々と上回る13秒89というタイムで優勝した。圧勝であった。
私にとっての世界マスターズとは一体何なのか。 高いお金を払って、長い時間を費やして、遠くまで行って、たった10秒ちょっとだけ走る。 極端な言い方をすれば、こうなるかもしれない。 私はなぜ、10秒ちょっと走ることに、こんなにこだわるのだろう。 私はなぜ、10秒ちょっと走ることに、こんなに惹きつけられるのだろう。 私はなぜ、10秒ちょっと走ることに、こんなに労力を費やすのだろう。 2018年マラガ大会は、そんなことを考えさせられる大会でもあった。
出場を決めるまで
35歳以上なら誰でも参加できる世界マスターズ陸上競技選手権大会。 2014年ブダペストの室内大会は、私が35歳になって初めて開催された大会であり、かなり前から出場しようと思っていた。 そこで優勝を逃し、次こそはと出場した2015年リヨン大会。念願の金メダルを獲得することができた。 そして、2018年マラガ大会。 私にとっては39歳での出場となり、一般的に年齢面で不利な大会である。 また、M35クラスでの金メダルという目標は既にリヨンで達成している。 そんなことで、当初私にとって、出場することへの意味付けがやや曖昧であったが、 次第に出場したいという気持ちが芽生えてきた。
私は現在、現職教員派遣制度を利用して、兵庫教育大学の大学院修士課程で学んでいる。 2018年はその2年目の年にあたる。9月は大学の夏休み真っ只中。 修士論文を書く作業とゼミは継続しているが、休みを取ることは難しくない。 もし、学校現場にいたら9月開催の世界マスターズに行くことは難しいだろう。 そう考えると、大学院生活の思い出として、これは行くしかないなと思うようになった。
また、昨年11月に甲南大学の「生涯スポーツ論」という講義で出前授業を行った。 内容は、過去2回の世界マスターズの体験が中心である。 この講義の担当者で友人でもある吉本先生は、9月13日まで半年間ドイツで研修をするとのこと。 一方、マラガ大会の予選は9月14日、決勝は15日。 話をしているうちに、吉本先生の研究内容にも直結することなので、応援に行くよという話になった。 面白そうだなと私も思った。そのことが私の背中を後押しした。そして12月頃、妻の承諾を得て、マラガ大会への出場を決めた。 年明け早々には、いつもお世話になっているJTBの方にお願いして、航空券とホテルの手配も済ませた。
大会に向けて その1
9月中旬の大会に向けて、7月中旬から下旬に強化練習を行い、 8月からは、暑さが尋常ではないという状況もあったので、 疲労をため過ぎないように、練習に強弱をつけながら、コンディションを高めることを目指した。 そんな中、8月13日、練習の一環で走った三校定期戦のオープン200mHで24秒49の自己記録をマーク。 走れてきているなという手ごたえを得て、8月下旬からはいよいよ世界マスターズに向けての 最終調整に入る予定であった。
ところが、大会の4週前となる8月19日の練習中に、内転筋に違和感が走った。 予定していたハードル練習の本数を終えて、もう1本と追加で行った試技の第1ハードルでのことである。 特別痛いわけではないが、引っかかるような違和感がある。 その後予定していた200m*3をするためにスタート地点に行き、試しに軽く走ってみたものの、 脚の切り返しのタイミングで、かなり強い違和感がある。この日の練習ここで終了。 翌日の室内トレーニングは問題なくできた。 しかし、大丈夫だろうと実施した8月22日のハードル練習で違和感が再発。 しかも、前回のときよりも違和感は強い。この日もここで練習を終えた。 そして、今後1週間は走るのを我慢して、室内トレーニングを中心に行うことに決めた。 試合の4週前、スプリントトレーニングの量を増やしておきたかったが、 予定通りに練習を消化することができなかった。 ただし、走る以外の動きはできた。室内でのトレーニングは充実していた。 200mを走っていないことに不安を感じていたが、大切なのは前向きでいることだと自分に言い聞かせた。 できる範囲で最善の取り組みはやっている。
1週間後、大会まであと2週間ちょっと。 内転筋に対して気持ちの上で不安が残っていたものの、問題なく走ることができた。タイムも悪くない。 ところがその翌日、ゴミステーションの掃除を中腰で行ってしばらくしてから、 ドーンと腰が重くなった。感じとしては軽い「ぎっくり腰」の症状である。
4日後。試合前の大切な練習を予定している日。腰の奥の方に気持ち悪さがある。 腰のためを思えば今日も休んだ方が良いのだろう。しかし、少しだけ迷って、予定通り練習を実施した。 ストレッチは問題ない。先週痛めた内転筋も含めて、筋肉の状態は良い。 歩行系のドリルも問題ない。だだしジョッグで腰に響く。 「これは厳しいかな。」と、不安がよぎるが、流しもなんとかできる。 やや腰をかばいながらも、スタートダッシュ、ハードル練習もいつも通りに出来た。80点。良くはないが悪くもない。 その後200m*3。腰がガチガチで、後半脚が前に出なかった。 結局、予定通りのメニューを消化できたが、不安を払しょくし、自信を得られるだけの練習は出来なかった。 この日練習をした結果、当然のことながら腰の状態が悪化した。大会までもう2週間を切っている。
翌日。決勝の日までは後12日。腰の状態は相変わらず良くない。 ハードルやスプリントの仕上がり具合ではなく、 腰の状態を一番気にしているあたりが、なんとも言えないが、 これがマスターズ陸上だと思うことにした。 いつでも完全な状態で大会を迎えられるとは限らない。 現状において、いかに最高のパフォーマンスを発揮するか。それを考えるしかない。 この手の痛みはある日突然なくなるもの、ただその日を待つのみと、出来るだけ前向きに考えた。 この日は、室内トレーニング。ストレッチ、ドリルを入念に行ってから、パワーマックス(バイクトレーニング)を3セット。 通常ならウエイトのMAXを入れるところで、それに比べて派手さはなかったが、 やってみると、意外に良いトレーニングになった。 ちょうどその頃、非常に強い勢力の台風21号が近畿地方に向かっていた。
大会に向けて その2
9月5日。決勝まで後10日。出発までは後1週間。このタイミングで、 台風21号の影響により、関西国際空港が全面閉鎖となった。 本当にいろいろな事が起こる。 すぐにJTBに問い合わせてはみたが、予想通りまだはっきりとした回答は出来ないとの事であった。 飛行機のことがとても気になる。しかし、まずは競技に集中しなくては。 その翌日、試合前の最終の刺激入れ練習を行った。 内転筋が少し硬い。腰の状態も万全ではない。 練習を進めるにつれて体の不調部分を感じ気分が落ち込むが、 何とか予定通りのメニューを行うことができた。 そして、動く身体が出来つつあるなと感じることはできた。 後は、自分に自信を持てるかどうか。腰の張りと内転筋の不安がとれるかどうか。 それにかかっている。この日で、試合前の「目的」としての練習はなんとかやりきった。
試合に向けて、予定通りに調整が進まないと精神的にきつい。 別に、いい走りが出来なくても失うものがある訳ではない。 でも、スペインまで行って走るからには、満足のいく走りがしたいという欲がある。 この欲が不安を駆り立てるのかもしれない。 調整が間に合うかどうかは、試合の当日にならないと分からない。 うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。 そんな不安を抱えている時に、関西国際空港が全面閉鎖になった。 「飛行機が飛ばないと決まれば、楽なのにな」 と悪魔がささやく。 この段階で、関西国際空港の復旧見通しは全く不透明。 JTBで手配していたKLMの関空発アムステルダム行きの便に関しては、9月7日までの欠航が確定していた。 一部では復旧まで1週間との報道もあったが、9月5日から数えての1週間後は、ちょうど私が出発する予定の9月12日にあたる。 もし予約している便が欠航になれば、 現在押さえているフライトをキャンセルして他の空港からの便を取り直さなければならないという状況であった。
そのような状況だったので、念のため、ネットで航空券を検索してみた。 いくつかのサイトがあったが、 skyscannerというサイトを利用することにした。 検索してみると、所要時間、航空会社、金額、様々な航空券がヒットする。 しかし、私が希望している、現在JTBで予約しているものと同程度の金額で、 行きの所要時間が長すぎないようなものは、そう多くはなかった。 また、検索結果は刻一刻と変化している。 時間が経てば経つほど、値段が上がる傾向にあるように感じた。 後で聞いた話によると、航空券の値段は、直前までは徐々に上がり、本当にギリギリになると下がるらしい。 予想できる事ではあるが、この段階においては、早く航空券を押さえておかないと、 値段が高くなりすぎるか、座席に空きがなくなるかして、本当に行けなくなってしまうのではないかと焦っていた。 上記のような、「悪魔のささやき」を感じていたのにである。 JTBにも相談してみたが、適当なチケットがなく取り直しは出来ないとのこと。 他の旅行代理店の窓口に行っても、同様の対応。 9月6日に発生した、北海道胆振東部地震による千歳空港の閉鎖も重なり、 旅行代理店はてんやわんやであったようだ。 自分で探すしかなさそうだった。 skyscannerのスマホアプリもインストールして、暇があれば航空券の検索をしていた。 「関空から飛ばなければ止める」と決めてしまえば、気持ちは楽になれたのかもしれない。 しかし私は、楽になることを求めてはいなかった。 腰や内転筋に不安があり、万全の状態であるという確信が持てていない状態であるにも関わらず、マラガへ行く方法を模索していた。 何が私をこうさせるのだろうか? 自分でもよく分らなかった。 あれこれ考えるとなかなか寝付けず、数日間、精神的にしんどかった。
9月7日。この日は室内で軽めの調整。入念なストレッチとドリルでの技術確認、そしてパワーマックスでの刺激入れを行った。 パワーマックスの数値は良い。身体は動いている。腰の状態はかなり良くなったが、逆に内転筋の張りが強い。 試合前は身体が敏感になるので、違和感を感じやすいもの。この日も競技面では、最善を尽くした。 問題は飛行機が飛ぶか飛ばないかである。 翌8日からは、国際線が一部再開されることになったが、すべてB滑走路、ピーチ・アビエーションのアジア便であった。 KLMの便に関しては、11日までの欠航が確定していたが、12日の便の情報は全くなかった。 つまり、この日の段階では、JTBで予約しているKLMの便の欠航はまだ確定しておらず、 キャンセル料の保証がなかった。 しかし、12日のKLMの便が飛ぶ可能性はかなり低いと予想することはできたので、 この日、skyscannerで検索し、そこでヒットしたHISが取り扱う次の航空券を予約した。
- 往路 成田9/12 17:55→9/13 0:45アブダビ2:30→8:30マドリード
- 復路 マラガ9/16 17:50→20:20ローマ9/17 11:15→9/17 19:20アブダビ22:05→9/18 13:00成田
それからは、新たに予約したHISの便での乗り継ぎや、鉄道・バスでの移動方法などを念入りに調べた。 マスターズの大会に出場する、すなわち競技の為にというよりも、 なんとしてもマラガに行く為に、すなわち旅の為に頑張っている。 これまで準備していた、40ページに及ぶ「旅のしおり」の内容もがらっと変わってしまったので、 新たに15ページ分を追加した。 私にとって、世界マスターズが面白いのは、もちろん110mHが好きな事もあるだろうけど、 旅が好きだからなのかもしれないなと感じた。 旅をすることもそうだし、旅をするための下調べが好きなのだ。 しかし、調べても調べても不安はつきまとう。 これは突然のプラン変更に対する不安なのか。 内転筋と腰の状態は、ほぼ問題ない状態にまで回復しているように感じるが、 異常に気になる。「完走できるのか?」というレベルの不安が頭から離れない。 腰、内転筋、飛行機、このみっつの問題が頭の中をグルグル回っていた。 3回目の世界マスターズ。今までも相当なハプニングが起こったが、今回は行く前からすごいことになっている。
9月10日。日本で最後のハードル練習。 身体は軽く筋肉の状態が良い。腰と内転筋に違和感は全くないが、精神的に少し気にしている。 ハードルの調子も良い。ここにきてようやく手ごたえを得ることができた。 一方、ここ数日で旅の手続き関係も着々と進んだ。 JTBで予約していたKLM便とマラガのホテルの1泊分、およびベイシャトルのキャンセルが無事完了。 成田までの往復のJR乗車券には学割を適用し、指定席はネットで割引購入した。 マドリード-マラガ間のAVEの予約と、乗り継ぎが夜間で長時間になるローマでのホテルの予約もできた。 結局すべて旅行代理店にお願いするのではなく、ネットで自分で行うことになった。 心配していた費用も、もともとのプランに比べて4万円程度の増加に抑えることができた。 その分、ローマで小旅行ができる。日本とスペインで鉄道の旅ができる。 旅の準備は面白い。良い経験になった。準備をする段階から旅の楽しみは始まっている。 後は、行って走るのみ。 野球ファンが、大谷選手のプレーを観るためにアメリカまで行くように、 サッカーファンが、世界レベルのプレーを観るためにヨーロッパまで行くように、 陸上好きの人間が、マスターズの大会に参加するためにスペインへ行く。 私にとっての世界マスターズはの魅力は、「世界への旅の中に組み込まれた陸上の大会である」ということなのかもしれないなと思った。 大好きな陸上と旅を、両方いっぺんに楽しめる。 ここまで来れば、気持ちは吹っ切れていた。
マラガへ
日本時間9月12日の9時30分に自宅を出発し、市営地下鉄、新幹線、成田エクスプレスを乗り継いで15時30分頃に成田空港に到着。 ここまでの移動ですら、座席に座り続けることで、腰がかなりしんどかったので、 エティハド航空の便へのチェックインを済ませてから、 空港で見つけたマッサージ店で、20分腰をもんでもらった。たった20分だったが結構楽になった。 その後飛行機に搭乗した。やや座席の感覚が狭いように感じたが、まあこんなもんだろう。 それより問題は座席の位置だった。2本の通路を挟んで、3人づつ合計9人が横一列に座るという座席のレイアウトで、 私の座席は真ん中のブロックの真ん中の座席だった。 比較的座席間隔が広い鉄道での移動でも腰がしんどかったのに、 狭い座席、さらには真ん中の位置での長時間のフライトは相当きつそうだと思った。 なんとかせねばと思い、あたりを見回していると、私の隣に学生風の男の人が座った。 この人に頼むしかない。そして、腰痛持ちだという事情を説明して座席の交代をお願いすると、 「それは大変ですよね。どうぞどうぞ。」と快諾してくれた。 これは本当にありがたいことだった。 彼は神戸の大学を卒業して、現在は三重の大学院で学ぶ学生。この日から1年間ベルギーに留学するとのことだった。 座席を交代してもらえたおかげで、通路側に足を延ばしてストレッチをしたり、 脚を組んで腰を伸ばしたりすることができて、何とか約11時間のフライトを乗り切ることができた。 もっと早くチェックインして、座席を指定するべきだったと後から気が付いた。 ネットでのチェックインもできるそうだ。今後に役立てたい。 何はともあれ、三重の学生、本当にありがとう。無事にアブダビに到着した。
アブダビ首長国はアラブ首長国連邦を構成する最大の首長国である。 アブダビでの乗り継ぎは2時間弱。 セキュリティーチェックの順番待ちに結構時間がかかったので、待ち時間はそれほど長くはなかった。 中東の国を訪れるのは今回が初めてで、少し不安はあったが、空港内の移動だけなので特に問題はなかった。 ただ、ちょっとした失敗はした。 ペットボトルの水に5ユーロ(約650円)支払ったことである。 とにかく機内での水は欲しかったので、通りがかったカレー屋の脇で見つけた水を買うことにした。 値段は明記されていなかったように思うが、特に確認することなく、お店の人にクレジットカードで支払うといったところ、 おそらく現地の言葉で「ユーロかドルは持っているか?」と言われた。 なんとなくそわそわとしていた私は、すぐに財布の中にあった最小金額の5ユーロ紙幣を彼に渡した。 すると、お釣りをくれる様子もなく、これでOK、帰った帰ったという感じ。 とっさのことで、お釣りうんぬんを説明することもできず、しぶしぶその場を去った。 やられた~と思った。 帰りの乗り継ぎのときに確認したところ、UAEの通貨の単位は「ディルハム」でAEDという単位が使われていた。 そして、アブダビ空港での水の値段はせいぜい10AED(2.3ユーロ)だった。 やはり5ユーロは高すぎる。しかし、他の店でもユーロは扱っているが、紙幣のみでコインは扱っていないとのことだったので、 お釣りがなくても仕方がない。5ユーロ払った時点で、5ユーロで買いますと主張したことになったのかもしれない。 5ユーロでちょっとした勉強をさせてもらえた。
次の便の座席は運良く通路側。そこから約7時間。スペイン・マドリードへ向かう。 2回のフライトに共通していたことは、フライトの後半の方が腰が楽だったということである。 前半で腰を伸ばしたりなんやりとしているうちに、逆にほぐされたのか、理由は良く分からない。 とにかく遅延等なく、無事にマドリードに到着することができた。ここで最初に迎える緊張の時間が、預けた荷物が出てくるのを待つ時間である。 前回リヨンのときの経験を踏まえて、今回は前回にもまして機内持ち込み手荷物を充実させていたので、 万が一届かなくても大丈夫にはしていたが、緊張する時間であることには変わりない。 ターンテーブルに向かった。荷物が次々と出てくるが、私のものが出てくる気配がない。 嫌な予感がする。同じ荷物が何回も目の前を通過しているような気がする。 ターンテーブルを囲む人の数が20人くらいにまで減った。そして、荷物が搬入される入口のシャッターが閉まった。 またか…。私と同じく荷物が来なかった、近くにいた日本人の学生とともにカウンターへ。 他にも同じような人たちが結構いる。しかし何やら様子がおかしい。 あまり話をせず返されているような感じである。よくよく会話を聞いていると「10 minutes」と言われている。 「10分待て?」。私とその学生はターンテーブルに引き返してしばらく待った。 すると再び荷物搬入口のシャッターが開き、私たちの荷物が現れた。 2人でほっと一安心し、シャトルバスに乗って、ともにマドリードの中心であるアトーチャ駅に向かった。 彼は横浜公立大学4回生の小南君。スペイン・イタリアへ一人で旅行に来たとのこと。 ホテルのチェックインまで時間があるとのことだったので、私の列車の時間までの約1時間、一緒にマドリードの街を散策した。 そして、現地時間で9月13日の11時35分(日本時間18時35分)、スペイン版新幹線AVEに乗車し、マラガへと向かった。 車窓には一面の緑が広がっている。日本では見たことがない景色。地平線までずっと緑だ。 いよいよやってきたのなと気分高まる。 自宅を出発してから約35時間、試合前日の14時。マラガのホテルに到着した。今回は荷物も一緒に。
前日調整と会場下見
ホテルに到着してもゆっくりしている時間はない。 アスリートマニュアルによると、 午前に行われる競技の場合は前日までに、 午後に行われる競技の場合は当日の12時までに、 選手受付を済まさなければならないことになっている。 私の競技は、明日の午後8時20分開始なので、明日の12時までに受付を済ませればよかったのだが、 余裕をもって、この日のうちに受付を済ませておきたかった。 受付はメインスタジアム(Main Stadium)内にある。 また、私が出場するM35クラスの110mHは、メインスタジアムではなく、第2スタジアム(Secondary Stadium)であるCarranque競技場で行われるので、 そこの下見もしておきたかった。世界マスターズは、ひとつの競技場ではなく、複数の競技場で同時に競技が進行される。 兵庫県でいえば、ユニバーと明石と加古川で同時に競技をやっているような感じである。競技場間のアクセスは比較的良い。 長旅の疲れはあるものの試合前日。軽く身体を動かしておきたかった。 部屋でシャワーを浴びて、ジャージに着替えて、少し休憩してからメインスタジアムへと向かった。
メインスタジアムで、リヨンでもお世話になった寺田さんと再会した。 彼に受付方法などを教えてもらい、受付を済ませた。PC上で各自が受付完了にすることで、 スタートリストが組まれるという仕組み。そしてウェブ上でスタートリストが発表される。 メインスタジアムでは、室内練習場でハードル練習が可能だということも確認できた。 その後、寺田さんともにCarranque競技場へ移動。 競技場間の移動時間は地下鉄を用いて約30分。スムーズに移動ができる。 2人で競技場とウォームアップエリアの様子確認をした。 トラックは事前に得ていた情報の通り、チップを固めたタイプの軟らかいタータン。 器具は全体的に古い。ハードルも遠目に見てみたが、バーが木のタイプのように見えた。 これはあまり強くは当てられないなと思った。特に予選は安全策が無難であろう。 ウォームアップエリアは今回も人工芝のフットサルコート。 競技場の周りを囲むように、タータンのような素材の周回コースもあった。 ここまで確認したところで、寺田さんとは別れ、私は身体を動かすことにした。 数日前に、日本人がスリにあったという情報があったので、 荷物をちらちらと気にしながら前日調整を進めた。 フットサルコートでは普通にフットサルの練習が行われている。 私は邪魔にならないよう、端っこで練習。するとスプリンクラーから突然の放水。 どうなっているんだ。場所を少し移動して、練習を続けた。そしてドリル、流しまで行い、前日調整を終えた。 会場の下見を済ませた結果、明日の予選はメインスタジアムの室内練習場でアップをしてから、Carranqueへ移動。 フットサルコートで短いダッシュなどの刺激を入れて、レースを迎えるという作戦で行くことにした。 予選でそこまでする必要はないのだが、 きちんとハードルの技術確認を行いたかったのと、決勝の日もそうすることが想定されたので、 その予行演習をしておきたかった。 ホテルに帰り夕食を済ませると、すぐに眠りに落ちた。 この日動いてみて身体は軽い、というか軽すぎるという感じがあった。
予選
今回はスペインでの開催だからなのか、 競技日程が午前の部、昼休み(シエスタ)、午後の部という形で組まれていた。 私が出場するM35の110mHは予選が20時20分、決勝が19時40分。いずれも午後の部に行われる。 前回のリヨン大会では、予選が朝の8時30分開始とかなり早かったが、今回はかなり遅い時刻に設定されていた。 よって、いずれの日も、午前中に軽く観光、昼頃ホテルに戻って休憩、夕方競技場に向かうというスケジュールを組んだ。 この日は朝から少し天気が悪かったが、市バスに乗って市内が一望できるヒブラルファロ城へ。 その後、アルカザバ(マラガ砦)を見学し、旧市街をブラブラ歩いてホテルに戻った。
16時頃まで休憩して、計画通りメインスタジアムへ。そこでアップを済ませて、Carranqueへ移動した。 Carranqueでは、タータンのような周回コースに適当にハードルが並べられており、 そこで皆アップをしていた。 メインスタジアムでアップを済ませてきている人はほとんどいない。 アップの様子を眺めていると、今回の申込みランキング3位(14秒06)であるギリシア人のNikolaos Saisanas選手が声をかけてきた。 「まだアップをやらないのか」と聞くので、「もう十分走ってきたよ」と答えておいた。 彼はなんと私の動画を持っていた。2018布勢スプリント、14秒40で走った時のものだった。 「これはハイハードルか?」「そうだよ」「すごいね」なんて会話をする。 片言の英語で何とかコミュニケーションが取れる。世界中のハードル好き同士の交流できる。 世界マスターズの醍醐味のひとつである。 少し遠くで、Damien Broothaerts選手がアップをしている。 動きがとても良い。サイドハードルの技術が特に良い。 ふわっとハードルに入るこは一切なく、常に鋭く入って、素早く振り下して、素早く抜く。 とてもキレがある。参考になる練習風景だった。 これは本当に手ごわそうだなと感じた。 そして、自分ももう一度、少し身体を動かしてから、コールルームへ向かった。
今回もリヨンの時と同様、100mのゴール地点にコールルームはあった。 ここCarranque競技場は、Secondary Stadiumということで、タータンや器具がやや古い。 しかし、コンパクトな作りで観客との距離が近かった。 ここに来るまでは、メインスタジアムが良かったなと思っていたし、 確かにタータンはメインの方が良かったが、実際来てみて、こっちで良かったなと思った。 世界マスターズの雰囲気が存分に味わえる。 競技の進行がやや遅れているようで、辺りが少し暗くなってきた。照明にはすでに灯りがともっている。 今回下調べをして気が付いたが、スペインとイタリアの間に時差はない。 よって、西にあるスペインでは日の出も、日没も時刻が遅い。マラガの夜8時は暗くなってきたとはいえ、まだうっすらと明るかった。 コールを終えて、コールルームからバックストレートを経由してスタート地点へと向かう。 その時「I have a question.」と一人が手を挙げた。 「もう少し明るくできないか」と案内係に言っている。 この人に言ってもどうにもならないことは目に見えているし、 そんなに暗くもない。しかも照明にはすでに灯りがともっていた。 皆、自分の意見は主張するのだ。 その時学んだことは「I have a question.」と言ってから質問するということ。 私でも、この人今から何か聞くのだなとすぐに理解できて分かりやすかった。 以降ホテルや空港で、何度かこのフレーズを使った。
そして予選のレース。予定通り安全にハードルを越えていく。 後半は競争する相手も視界に入らなかったので軽く走った。 向かい風ということもあったが、14秒72というタイムはやや物足りない。 しかし、あまり深く考えないことにした。 内転筋と腰に痛みがない。それで十分だった。 レースの後、吉本さんと合流しともに夕食をとった。 そして部屋でシャワーを浴びた後、入念にセルフケアを行った。 レースを走ることでの身体への負担は大きい。 ビデオを見るとやはりかなり浮いていたので、明日はもう少しアタックしようと思った。
決勝
この日も朝は観光を兼ねて散歩に出かけた。 明日日曜は休みになるので、今日はマラガの市場へ行くと決めていた。 市場には色とりどりの野菜や果物、ハム、肉、チーズなどが並ぶ。 見ているだけで面白かった。ここでチーズとオリーブオイルを購入して、 早めにホテルに戻り、夕方からの試合に備えた。 昨日の行動記録を参考に、今日の行動計画の微調整を行い、メインスタジアムへと向かった。 昨日と同じようにアップを進めるが、気持ちの昂ぶりが昨日とは全然違う。 身体がめちゃくちゃ動く。いろいろあったが、何とかこの日に合わせることができた。 ここに来て、今年最高の手ごたえを感じることができた。
そして、Carranqueへ。今日はフットサルコートにハードルが並べられている。 ただし間隔はでたらめで、各々が足長などを用いてセッティングしている。 私が到着した時は、M35の前に行われるM40のメンバーが中心にアップをしていた。 昨日とは違って緊張感がある。 ここでは本数を限定して、身体に刺激を入れる。 よし、いい感じだ。自信をもって、コールルームへ向かうことができた。 コールを済ませ、スタート地点へと向かう途中にM40のレースが行われた。 1回目、世界マスターズ3連覇中の日本の吉岡さんがフライング。今回の世界マスターズでは 1回のフライングは認められる。ただし、この1回はすべての競技を通してカウントされるので、 例えば、100mに出場してそこで一度フライングをしてしまうと、その後のハードルでフライングは出来ないということになる。 M40にも予選で14秒1台で走っている選手がいる。吉岡さんはルールの範囲内で勝負に出たわけだ。 考えることは同じである。私もそう思っている。 そのM40のレースが終わり、いよいよM35のレースを迎えた。
私は5レーンを走る。 スタート地点に着いてまず気になったことは、5レーンに設置されたスターティングブロックの蹴る分部が 特にボロボロであることだった。ゴムがかなり劣化して黒ずんでいた。明らかに他のものよりも痛んでいたが、 辺りに予備のブロックは見当たらず、8人全員が出場する様子だったので、他のレーンのものとも交換できない。 あまり大差はないかと、すんなりあきらめることができた。 そして、そのブロックを用いて2回のスタート練習を行った。 実は昨日、アップが終わってから時間が空いたせいもあってか、直前のスタート練習で腰に変な感じがあったので、 今日はそうならないように配慮して準備をし、そこで2本行うことに決めていた。 1本目。良く動いている。ただし、1台目をリード脚でぶつけた。ここのハードルにリード脚をぶつけることのリスクは高い。 そこでブロックを両足とも1段ずつ後ろに下げて、スタートラインの手前5センチのところに手をつくように変えた。 2本目の練習。OK。ばっちりだ。そして決勝のレースを迎えた。
1回目のスタート。私のすぐ左隣、4レーンの選手がフライングをした。 冷静だったのでつられて動き出すことはなかった。 2回目のスタート。タイミングが完璧に決まった。フライングかどうか、ギリギリのタイミングだったと思う。 リコールが鳴らないので、そのまま1台目に入った。1台目でこんなに飛び出せたのは久しぶりだ。 3レーンを走るDamien Broothaerts選手もすぐそこに見える。 しかし、後半力の差を見せつけられ、彼との差はどんどん開いていく。 逆に私の右隣、6レーンを走るカナダのJackson Hinton選手と競る形になったが、 彼との勝負には冷静に対応し、2着でフィニッシュした。 ランニングタイマーは13秒90で止まっている。完敗だった。 しかし、最低限の目標であった銀メダルを獲得することができて、正直ほっとした。 14秒41(-0.7)は決して満足のいくタイムではないが、走った感じは良かった。 納得のいく走りができた。 タイムはトラックやハードルの違いもあるので、単純に日本で出しているものと比較できない。 怪我の不安を抱えながら、よくここまで仕上げることができたという、満足感が強かった。
19時40分開始の決勝のレースを終え、皆と健闘をたたえ合い、お世話になった日本チームの方々への挨拶をすませてから、 再びメインスタジアムへと向かった。表彰式は21時10分からメインスタジアムで行われることになっている。 セレモニー会場に到着すると、M40の110mHの表彰が行われようとしていた。 そこで、リヨンで一緒に走ったイギリスのMensah Elliott選手と再会する。 彼は今回、クラスがひとつ上がりM40のクラスに出場、銀メダルを獲得していた。 私より少しだけ年上の彼を、私は尊敬している。 ほんの一部の姿しか見ていないが、競技に対する強い情熱を感じる。 私がそう思っていることを、きちんと英語で伝えた。 そして、お互いの健闘をたたえ合い、今後はどの大会に参加するつもりかというようなことを話した。 彼は私がもうすぐ40歳になることを知っていた。そして当然、数年後に彼は45歳になる。 彼と私が一緒に走れる機会は限られている。 ぜひもう一度彼と一緒に走りたい。そんな話もできた。
大会を終えて
今回も山あり谷ありの世界マスターズであったが、ありがちな感想ではあるが、終わってみれば本当に楽しかった。 大会前、怪我で思うような練習ができない時期は、気持ちが重たかった。 関空が閉鎖され、飛行機が飛ばないかもしれないとなったときは、キャンセルしてしまおうかなと、ほんの少しだけ思った。 どうやってマラガまで行こうか、マラガまで行けたとして完走できるのか、などといろいろ考えていると、 なんでこんなしんどい思いをして出場しようとしているのだろう、という疑問も感じた。 では、なぜ私はそこでやめてしまうことなく、マラガまで来たのだろうか。 自分なりに考えてみた。
今回、結果的に満足のいく走りができ、充実感を味わうことができた。 走るのはたったの10秒ちょっと、走り終わってその充実感を味わえる時間も長くて数分。 しかし、そこにたどり着くまでには、膨大な時間と努力を費やしている。 そして、その膨大な時間と努力がなければ、ほんの数分の充実感を味わうことはできない。 私はマラガに向かう直前、確かに不安だった。 でも、そのことを知っているから踏ん張れたのかもしれない。実際、踏ん張った結果、満足のいく結果が得られた。 そして何より、困難に直面した時、そこから逃げること、あきらめてしまうことが私は嫌いなのだろうと思う。 仮に今回、レースの途中で内転筋がピクッして、最後まで走りきれなかったとしたら、私はどう思っただろうかと想像してみる。 おそらく「結果は出なかったけど、最善は尽くした。いつかまたリベンジしたい」というようなコメントを残したのではないだろうか。 結果が良ければ満足し、楽しかったと思える。 結果が悪くても、最善は尽くした、次頑張ろうと思える。 それは、いまだに私が走り続けている理由でもあると思った。
と、ごちゃごちゃと考えてはみたものの、要は「好き」ということなのだろう。 順調に準備ができて、最高の結果が出せればもちろんそれはそれで良い。 しかし、いつでもそううまくいくとは限らない。 年齢を重ねれば、いろいろと身体に問題も生じる。 それらとうまく付き合いながら、その中でベストな走りをする。 それがマスターズ陸上なのかもしれない。そして世界大会ともなれば、航空トラブルや現地でのトラブルはつきもの。 それらをまるごとひっくるめて楽しめる場が、世界マスターズの大会なのだ。 今回も、世界マスターズを存分に楽しめた。そして、またこの味を占めてしまった。 今後のアウトドアの大会の予定は、今のところ
- 2020年カナダ・トロント大会:7月20日から8月1日
- 2022年スウェーデン・イエテボリ大会:8月17日から8月27日
おまけ~マラガから神戸までの旅~
ここからは、陸上競技とは全く関係ない、単なる私の旅の記録である。 関空からの便がキャンセルになったおかげで、競技が終わってからの時間がたっぷりとできた。 もともとは決勝の翌日、16日の午前中にマラガを出発し、翌17日の8時30分に関空に到着する予定であったが、 マラガ発が16日の夕方になり、さらにローマでは15時間もの乗り継ぎ時間ができ、成田着が18日の13日となった。 ということで、16日の午前中は、マラガで行きたかったけど行けていなかった場所を散策した。 この日は日曜日、マラガのカテドラルではミサが行われていた。 お土産も買い足して、昼の12時にホテルをチェックアウトして空港に向かう。 ローマまでの飛行機が17時50分発なので少々早かったが、 早めにチェックインして、通路側の座席を獲得しようと思っていたからだ。
ホテルがあるマラガの中心から空港までは、セルカニアスと呼ばれる電車で移動する。 事前に空港からホテルまでの行き方は綿密に調べていたので、 その逆の道のりである、ホテル最寄りの駅から空港駅までは、4駅・約15分と頭に入っていた。 切符の買い方なども含めて、特に難しそうなところもなかったので、気楽に電車に乗り空港に向かった。 ところが、予定外だったのは、私は往路でマラガ空港を利用していなかったということ。 私にとって、マラガ空港駅は初めての駅だったのだ。 油断していた。他のことを考えながらのんびりと電車に乗っていると、薄暗い地下の駅を何駅か通過して、電車は地上に出た。 そして、4駅以上の駅を通過し、15分以上電車に揺られた。しかし、車窓から空港が見える気配はない。 「何かおかしいぞ」と思い、車内の警備員らしき人に尋ねてみると、次の駅で降りて向かいのホームへ行けとのことだった。 空港駅で降りそこなっていたのだ。早くに気が付いて本当に良かった。まだ空港駅を2、3駅過ぎたところであった。 その駅で次の電車が来るまで15分ほど待ち、マラガ市内行きの電車に乗って、無事に空港に到着することができた。 今回の失敗では、時間の余裕がたっぷりとあったので、全く焦ることはなく、逆に乗り換えた駅でマラガ郊外の雰囲気を味わえることができた。
マラガ空港には13時過ぎに着いた。スペイン第4の空港とのことで、結構広い。 まずは、チェックインカウンターを探す。 事前にwebチェックインをしようと試みてはいたのだが、最初の便がアリタリア航空との共同運行便だったからか、 理由は分からないが、途中まで進んでエラーが表示されたので、いつも通りカウンターでチェックインをすることにした。 マラガ空港のチェックインカウンターは横一列にズラッと並んでいる。ただし、オープンしているのはそのほんの一部。 どこのカウンターでチェックインをするかは、掲示板を見て確認しなければならない。 私が搭乗する17時50分発エティハド航空の便の情報は、まだ時刻が早過ぎて表示されておらず、 30分から1時間待ってようやく表示された。 早速そのカウンターに向かってみると、そこではモスクワ行き?か何だか忘れたが、他の航空会社の別の便のチェックインが行われていた。 その便のチェックインが終了してから、同じカウンターを用いて、私が乗るローマ行きの便のチェックインが行われるようであった。 ということで、結局出発の2時間ちょっと前まで、チェックインカウンターはオープンされず、 ただ、モスクワ行き?の便のチェックインが終わるのをボーっと眺めて待つことになった。 そして、モスクワ行き?の便の係の人が撤退するのを確認してから、そのカウンターの一番前に並び、 さらにそこで30分ほど待って、私の便のチェックインが始まった。
不機嫌そうな中年の女性がカウンターの向こうに座った。 なんとなく手際が悪く、隣の若手からアドバイスを受けている。 彼女の準備が完了したところで、私はパスポートとeチケットを提示したが、 eチケットは提示しなくてもよいと言われた。 パスポートの情報があれば、eチケットの情報はネットワークで検索できるようだ。 だから、提示するのはパスポートだけでよい。 そして、通路側の座席を獲得すべく、まずは「I'd like an aisle seat.」と言ってみた。 彼女はうんともすんとも言わず、眉間にしわを寄せてパソコンと向き合っている。 「本当に言ったことが通じているのか?」と、不安になった。 しばらくすると、カウンターの向こうにある小型プリンターから3枚の搭乗券が出てきた。 不機嫌そうに見える彼女はそれを手に取って確認している。 が、次の瞬間、こともあろうか彼女は3枚目の搭乗券をビリッとまっぷたつに破り、後ろのゴミ箱にポイと捨てた。 おいおい大丈夫か!と思ったが、何の作業をしているのか、こちらからはよく分からないので、 黙って様子を見ていると、ゴミ箱から破り捨てた航空券を取り出し、荷物に張り付ける用のテープで裏面を止めて、 それを含めた3枚の航空券を私に手渡した。 彼女はこれで大丈夫だと言っているが、QRコードの部分がまっぷたつに分かれている。 これで大丈夫なのかと、ちょっと強い口調で聞いたが、彼女は大丈夫だとしか言わないので、仕方なしにこの3枚の航空券を受け取った。 破れた物は、ローマからアブダビへの便のものであった。 続いて、航空券を受け取ったので、荷物に関して「Will my baggage go straight through to the final destination?」と尋ねた。 彼女はすぐに「Yes.」と答えた。よし、私の想定していた答えである。 が、すぐにその答えを取り消した。えっと思った。 その時点で彼女のことを全く信用していなかったので、かなり疑ったが、 ローマでの乗り継ぎの際に日付が変わるので、一度ローマで荷物を取り出せとのことだった。 仕方ない、そうするしかない。私の計画が少し狂った。
飛行機の座席は3便とも通路側だった。 うんともすんとも言わなかったけど、希望は通じていたようだ。 マラガからローマへは2時間ちょっと。20時20分、予定通りローマに着いた。 そこでTransferではなくArrivalへ移動する。 ここまでは予定していた通り。ただし、その先で荷物を受け取らなければならない。 この時は一番に私の荷物が出てきた。 これは先頭に並んでチェックインしたからだろうか? 因果関係は分からないが、これからはできるだけ早くチェックインしようと思った。 さあ、ここからはレオナルドエクスプレスという列車に乗って、ローマの中心部テルミニに駅に向かう。 念の為、今ここでスーツケースを預けられないのかをインフォメーションで尋ねてみたが、やっぱり駄目だった。 近くにコインロッカーのような施設も見当たらなかったので、結局スーツケースを持ってホテルへ向かった。 結果的には、ホテルで荷物を整理しなおせたりしたので、逆に便利だった。 ちょっと重たいが、日ごろ鍛えているので、これくらいは何てことない。 夜のテルミニ駅で晩御飯を調達して、駅の近くの薄暗い路地にあるホテル「ジョルジ」に到着した。 その日は、スイートルームが空いていたようで、一番奥にある部屋に案内された。 受付のお兄さんは、「あなたの為にスイートルームを用意したからちゃんとネットに書き込んでね!」と陽気に言っていた。 私一人には広すぎる部屋、重厚な家具、薄暗い照明、やや落ち着けない雰囲気だったが、 広々としたベットでぐっすりと眠れた。 安く済ませた為、ネットでの口コミは良くなかったが、 私一人が泊まるのには全く問題なかった。お湯もちゃんと出た。
翌朝は6時前に起床。この日のローマの日の出は6時45分。 でも、「日の出」と「夜明け」とは意味が異なり、明るくなり始めるのが「夜明け」とのことだった。 なので、6時半にホテルを出発すると、外はうっすらと明るかった。 飛行機の出発時刻が11時15分なので、9時過ぎには空港に到着したい。ということは8時30分までには電車に乗りたい。 ホテルでの朝食も食べたかったし、散歩後にシャワーも浴びたかったので、7時45分にホテル戻ってくることを目標に出発した。 私に与えられた時間は1時間15分。予定している移動距離は5~6キロ。 結局この散歩はほぼジョッグになった。 暑くもなく寒くもなく気持ちよい気候で、時間が限られているというプレッシャーもあったので、 私の足取りは軽かった。石畳のローマの地面が身体に優しくはなかったが、試合後の身体にはちょうどよい運動になった。 トレビの泉、コロッセオなど、ローマの名所をそこそこ回れて、大満足のプチ観光となった。 新婚旅行で来て以来、2回目のローマ。トレビの泉ではコインを1枚投げ入れて、また来れるように願掛けをしておいた。 予定外に生まれた15時間の乗り継ぎ時間を利用して、ローマ観光を楽しむことができた。
予定通り8時過ぎにはホテルをチェックアウトし、再びレオナルドエクスプレスで空港へ。 飛行機へのチェックインは昨日マラガで済ましているので、 チェックインカウンターではスーツケースだけをさっと預けて、セキュリティチェック、出国審査を経て搭乗口へ向かった。 ただ、これだけでも1時間ほどはかかったので、やっぱり空港へ来るときは余裕を持つべきだなと思った。 破られたチケットのQRコードも、何とか機械が読み取ってくれほっとした。 何か言われたらどうしようかと、少し心配していた。 そこから約6時間でアブダビへ。機内ではこの体験記の為に、今回の世界マスターズを回顧。 アブダビでは、往路の乗り継ぎ時に5ユーロで水を買ってしまった経験を踏まえ、今回は慎重に値段をチェックして水を探した。 偶然にも手元に残った紙幣は5ユーロ1枚。コインは使えない。 一番小さくて安い水は4AED(約0.9ユーロ)、500mlサイズで10AED(約2.3ユーロ)だったので、 何かと抱き合わせで買おうと、売店のお兄さんと交渉して、小さい水と30AEDのサンドイッチをセットで購入した。 かなりお得な買い物ができた。1週間の旅の終盤、少したくましくなったような気がした。 そこからは、約10時間のフライト。そして、18日13時に成田に到着。 成田エクスプレスと新幹線を乗り継ぎ、 マラガのホテルを出てから48時間が経過した18日19時00分、無事に帰宅することができた。 この1週間で、素晴らしい非日常を体験した。おなかいっぱい。大満足の旅となった。
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