16 . [新訳]論語(久米 旺生)
- 勇も大切だが、それ以上に義が大切だ。義のない勇は秩序崩壊につながる。
- 「これに先んじ、これを労う」…人民の先頭に立って責務に励むこと、民の立場に立ってその苦労を思うこと。 精進を続けること。誠実さを失わぬこと。
- 貧乏でも卑屈にならない。富んでいても傲慢にならない。貧乏でも人生を楽しみ、富んでいてもすすんで礼を守る。
- 「三人行えば必ずわが師あり」…隣近所や仕事仲間はみんな私の先生だ。すぐれた人物を見たなら 努力目標にすること。くだらぬ人物をみたら自己反省の材料とすること。
- 「過ちを改むるに憚るなかれ。過ちを改めざる、これを過ちと謂う。」
- 人間は全体像によって客観的に評価されるものではなく、一部分が拡大された結果によって評価される。
- 善人からは好かれ、悪人からは憎まれる。そんな人物でなくては。
- 「願わくば善にほこることなく、労を施すことなからん」…人助けをしても、恩をきせないでいたい。 年長者からは安心され、同僚からは信頼され、年少者からは慕われる。
- 「巧言令色鮮し仁」
- 仁や聖は望めないが、せめてそれを目指して努力して、人にも教える。これなら何とかやれる。
- せっかくの進言もあまりくどいと君主から馬鹿にされる。友情からする忠告も、あまりくどいと煙たがられる。
- 仁とは人を愛することだ。知とは人を見抜くことだ。
- 遠くから見ると近づきがたい威厳がある。親しく接してみると、その人柄のあたたかさが伝わってくる。 さらにことばをかみしめると、その言葉の厳しさが分かってくる。温和であってしかも厳格、 威厳をそなえながらも威圧感がなく、礼儀正しくてしかも窮屈を感じさせない。
- 三省。つい人のことだといい加減に済ませたりはしなかったか。友人に対して誠実でない態度をとることはなかったか。 自分に自信がないことを、まことしやかに人に吹聴しなかったか。
- 才能におぼれず、自分以下の者にも意見を求める。どんなに知識があっても、他人の見聞に徴してみる。能力を誇らず、 学識をひけらかさず、争いをしかけられても相手になろうとしない。
- 「己に克ちて礼に復ると仁となす」…自分に打ち克って、礼の本質に合致した行動をするのが仁だ。
- 「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」…人からされたくないことは、自分も人にしない。
- 「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」…自分の名誉を大切にしたければ、まず人の名誉を重んずる。 自分が自由でいたければ、まず他人の自由を重んずる。自分を常に他人の立場に置いてみる。
- 「仁遠からんや。我に仁欲すれば、ここに仁至る」…少しでも仁を実践しようと努める。この心がけさえ忘れなければ、 誰でも仁に達することは可能だ。
- 人に認められようが、認められまいが、そんなことは気にせず勉強を続ける。
- 人に接する場合、誠実を根本に置き、義を規準とする。もし感情的に接すれば、是非の分別がつかない。
- 「速やかならんと欲すれば達せず、小利を見れば大事成らず」…あせると仕損じ、小利に惑わされると大事業は完成しない。
- 「信、義に近ければ、言復むべきなり」…自分の発信に無条件に忠実なわけではない。 自分の行為を無条件に最後までやり遂げるわけではない。ただ偽のあるところに従うのだ。
- 内外の声なき声に耳を傾ける。
- 「君子は和して同せず、小人は同して和せず」…君子は協調性に富むが、無原則な妥協は排斥する。 君子は対人関係が友好的ではあるが、身びいきしない。小人は身びいきするが、真に友好的ではない。
- 君子は人材を適所に配する。小人はひとりの人間に見さかいなくすべてを期待し、できないと無能呼ばわりして責任を押し付ける。
- 上に立つものが礼を重んじ、正義を愛し、約束を果たすなら、人民は自然に彼を敬愛し、心服し、誠意を示すようになる。 君子と小人は役割分担が異なる。
- 「君子もとより窮す。小人窮すれば、ここに濫す」…人間の本当の姿は窮地に立たされた時に現れる。 人は誰でも追いつめられることはある。その時の対応に君子と小人の差が出る。
- 「学びて思わざればくらし。思いて学ばざればあやうし」…調べ派は黙々と資料を集めて整理する。 資料倒れになちかち。考え派は最小の資料から推論する。自分では心得いったつもりでも誤認があることがある。
- 「温故知新」…温とは肉をトロトロに煮詰めてスープをとること。過去の歴史をよく調べ、その中から知恵を抽出する。
- 啓発とは、「何かを知りたがってうずうずしているひとに、助け舟としてヒントを与えてやる」ということ。 啓発教育とは教え込むのではなく、遠回りのようでも、相手の好奇心を呼び覚ますことから始めること。
17 . 右手に「論語」、左手に「韓非子」(守屋 洋)
- 現在の行動を観察するばかりではなく、その動機は何か、目的は何かまで突っ込んで観察すれば、どんな相手でも自分の本性を隠し切れない。
- 年長者からは安心され、同輩からは信頼され、年少者からは懐かれる。
- 温かさの中に厳しさがあり、威厳がありながら威圧感がなく、謙虚でありながら窮屈な感じがない。
- 先生は4つの欠点を免れていた。主観だけで憶測すること。自分の考えをしゃにむに押し通すこと。 ひとつの考えだけに固執すること。自分の都合しか考えないこと。
- 目上の人に仕えるとき、してはいけないことが3つある。
- 「躁」…相手がまだ話題にしていないことまで先取りしていうこと。
- 「陰」…はぐらかして答えないこと。
- 「瞽」…表情や顔色もよまないで、まくしたてること。
- 「相、相近し。習、相遠し。」…生まれながらの素質に、それほど大きな違いがある訳ではない。 その後の習慣の違いによって、大きな差がついてくる。
- 下君は自分の能力で仕事をする。中君は人の力量を使うことができる。上君は人の智力を引き出して使うことができる。
- 人が善意で応えてくれることを当てにしてはならない。
18 . 疾風になりたい(伊東 浩司)
- 「さらにひとつ上のランク」と欲が出たら、同じ練習にとどまっているわけにはいかない。 それだけケガのリスクは大きくなっていく。
- カカトから入って母指球に抜ける。その時に腰が一緒に移動する。
- マッサージをやったりストレッチをやったり。筋肉がある程度柔らかくなると速い動きができることを知った。
- 室内大会に目一杯出場するには、前の年の屋外シーズンを9月くらいに終わっていないと難しい。
- 今までやっていないことを練習にとりいれた。(宇佐美彰朗、高野進が3度目のオリンピックを目指すとき)
- エントリーして、出場料を払って、荷物の安全を確保して、記録を聞きに行って。走ったこと以上に妙な達成感があった。
- あれもこれも試した末に練習がマンネリ化すると、何か力を借りて自分を追い込みたいと思うものである。
- 98年のアジア大会後にも「次走ったら9秒台」と思いながらやってきたけど、アジア大会前の環境で練習や試合ができることはなかった。
- アジア大会以降は、練習に身が入らなかった。ただ動いているだけ。
- 「楽しい」と思えるのだったらもっと頭を動かせ。楽しいというのは、身体を目一杯使って練習ができた達成感だと思う。
- スタート後、脚があがるのを嫌がった。最初ツツーッと忍者のようにすり足で出たかったので、 ガンガンガンではなく、タタタといきたかった。
19 . 驚異の1分間コアトレーニング(白木 仁)
- 「はまった」感覚を出すには、股関節周りの筋肉を使えるようにすることが必要。鍛えるというよりも使えるようにするのです。
- 意識的に「はめよう」としてはダメ。競技中はあくまでも自然に「はまった」状態にならないといけません。 だからこそ日頃のトレーニングで何千回、何万回と繰り返して、自然に「はまる」状態を養う。
- なるべく筋肉を使わずに効率的に走ることが理想。状態がぶれずおへそで走る感覚。股関節、腹筋、背筋が大切。
- 内旋すると股関節がロックされる。外旋すると股関節が動きやすい。スタートの一歩目を外側に踏み出すのは、ダッシュするための合理的な動きなのです。
- 「はまった」とは股関節が自然なあるべき形に収まり、周辺の筋肉がニュートラルな状態になっていること。
20 . 試練が人を磨く(桑田 真澄)
- 自分はエースでいることが好きなのではなく、野球が好きなのだ。
- やれるうちは努力を重ねてやりきった。これで満足だと自分で思えたときにユニフォームを脱ぎたい。
- 最悪だった2年間(92,93年)に「この努力がいずれはいいことにつながるんだ」と信じて黙々と練習してきた結果が出たのだ。
- 感謝、努力、辛抱、謙虚
- 感謝すること、驕らないこと、自信をもつこと。
- トレーニングを積んで、節制さえすれば、40歳でも今の投球内容を維持できると思っている。トレーニングして節制すればきっとできる。
- このグランドキャニオンのように、もっと大きな気持ちになぜなれなかったのだろう。
- 結果はでなかったけれど、とにかく今やっていることが絶対にいいことにつながると信じてやった(93年)。
- 自信は練習に裏打ちされている。練習のやりすぎは科学的に良くないとさんざん言われたけれど、僕はそう思わない。 優れた選手ほど、よく練習している。いかにばんばるか。ただそれたけだ。