2011 (H23/社11/32歳)
- シーズンベスト:14"40 (+0.0) (日本選手権/熊谷) [2011日本選手権予選]
- 日本ランキング:69位
- 兵庫ランキング:2位
- 主要大会結果:兵庫選手権 2位/関西実業団 3位
2011/3/19 兵庫実業団記録会 (尼崎)
- 14"98 (-1.0) (1着)
競技開始前、東の方向へ向いて黙祷が行われた。母校筑波大学でも、学内立ち入り禁止の状況が続いていると聞く。 記録会で走ることが、当たり前ではない状況が今、日本の中にある。こうやって今年もまた、競技会のスタートラインに立てることに感謝をしなければ。 そんなことを感じつつ、2011年のシーズンは幕を開けた。 まだ精神的にも肉体的にも試合期を迎えていない段階で、練習の一環としてのレース。3歩のリズムが間延びし、ハードリングも浮いているように感じた。 ただ、やっぱり記録会で走ると、全力で走ることになるので、それでひとつ次のステップへ進めるし、練習で感じることより多くの課題を見つけることができる。 練習の一環だが練習とは違う。記録には不満だったが収穫はあった。 今季前半戦のスケージュールは次の通り。毎年好記録が出ている春季グランプリシリーズのひとつ、織田記念(広島)に初挑戦する。 時期的に早いので、仕上げ切れないようにも思うが、トップレベルの試合で走ることで刺激を受けるだけでも十分、良い結果が出ればそれで良い、 不本意な結果ならそのくやしさがモティベーションとなるはずだ。その分、関西実業団の重要度を落として、その後の日本選手権、兵庫選手権にあわせられればと考えている。
月日 | 大会名 | 場所 | 重要度 |
4/17 | 春季記録会 | ユニバー | ★★ |
4/29 | 織田記念 | 広島 | ★★★★★ |
5/3 | 郡市区対抗 | 三木防災 | ★★★★ |
5/15 | 関西実業団 | 鳴門 | ★★★ |
6/10 | 日本選手権 | 熊谷 | ★★★★★ |
6/25 | 兵庫選手権 | ユニバー | ★★★★★ |
2011/4/2 神戸市記録会 (ユニバー)
- 200m 22"58 (+2.4) (4着) =追風参考
昨年同様、4月上旬は忙しい日が続くの為、練習の一環で出場。昨年は22"54(+1.7)。今年はその記録をやや下回る結果となっているが、 今週あたりから練習での身体の調子はよく、仕上がりは順調。ただ、今日のレースについては、特に後半力みすぎの走りで、上手く走りきれなかった。 もっと力を抜いてスムーズに走れないと。試合で思うように走るのは難しい。ハードルがあったほうが簡単にスムーズに走れる。 次は2週間後の春季記録会。14"4から5が出せればと思っている。過去10年間の春季記録会の結果は以下の通り。さあ今年はどうか。 いよいよ気持ちも体もシーズンインになってきた。
年 | 記録 | 風 | 年 | 記録 | 風 |
2001 | 15"42 | +1.4 | 2006 | 14"61 | +0.6 |
2002 | 15"17 | -0.1 | 2007 | 14"89 | +0.0 |
2003 | 15"24 | +1.3 | 2008 | 14"76 | +0.4 |
2004 | 14"76 | -1.2 | 2008 | 14"70 | -0.7 |
2005 | 14"90 | -1.4 | 2010 | 14"62 | +0.0 |
2011/4/17 春季記録会 (ユニバー)
- 14"68 (-1.7) (1着)
国内トップ選手達の今シーズンの動きは、8月の世界選手権(韓国)、7月のアジア選手権(神戸)に向けて、まずは春季グランプリにピークを合わせ、 そして、その調子を維持して6月の日本選手権を迎えるというパターンが一般的なようだ。その春季グランプリは各種目1試合。 110mHの場合は4月29日、広島で行われるの織田記念になる。 自分も今年はそのパターンでいってみようかなと考え、調整している最中のこの記録会。調子は良い。体もよく動いてきている。 記録的には過去3番目であるが、向かい風を考慮すると目標であった14"4から5といったところはに到達しているのではないかと考える。 レースの感想としてはスタートから前半は体もよく動き合格点だったが、後半は風に押されて前に進まず失速、ハードリングの滞空時間が長くなり、 インターバルも走れていないといったものだった。その主観的な感想は他者から得られた情報からとも一致した。試合を見に来ていた妻はこう言う。 「スタートから前半は良かったように見えたけど、後半は重たかったんじゃない?」。 ある先生はこう言う。「中盤風にあおられてハードリングがういたな。もっとハードルにアタックする感じが出てくるといいんだけどな」。 そしてまたある先生からはタッチダウンのタイムというとっておきのプレゼントをいただいた。それによると4台目までのタッチダウンタイムは平均して1"0台。 ここまではOK。ところがその後タイムが1"1台後半にガクンと落ちていた。 確かに今回のレースでは後半の落ち込みは残念なものだが、そこはレース展開や風、今後の仕上げでがらりと変ってくる分部。 そのことより、前半の走りが良かったことが今日のレースでの大きな収穫であった。今、最も大きな課題としている前半の走りは確実によくなっている。 主観的、客観的両方の面からそのことが確認でき大きな自信になった。
レース後、織田記念に向けての刺激要れも兼ねて、200mを3本、サブトラックで走った。 月曜ウエイト、火曜レスト、水曜、木曜で強めの練習をいれてその後練習量を落とす、そう考えていた。 しかし200mを走り終わって100mほど歩いてスパイクを脱ごうと腰を下ろしてしばらくしていると、激しい腰の痛みを感じた。 軽いギックリ腰の症状だ。昨年10月以来の腰の痛み。欲張りすぎたのだろうか。これはまずい。現在計画を変更して月、火をレストにした。 明日以降は様子を見てメニューを組み立てる。 しかし、このような状況になって確認できたこともあった。確実に股関節周りと背筋に疲労が溜まっていたということ。 試合前日に練習した時にも左足内転筋には張りを感じていた。腰もかなりカチカチになっている。 今となっては、日曜に非常に負荷の高い練習を行えているので、休み過ぎるくらい休み過ぎてみるのもひとつ面白いのかなくらいの気持ちもある。 何が良くて何が悪いかなんてやってみないと分からないもの。いろいろな選択肢の中から、今自分が考えるベストを選び続けて、次の試合に備えたい。 ギックリ腰から2日、日常生活は普通に行えるようになった。明日の朝、靴下を楽に履ければいいのだが…。
2011/4/29 織田記念国際陸上 (広島ビックアーチ)
- DNS
春季記録会の後でおこった腰痛がなかなか治らず、棄権することになった。 この大会については、初めて標準記録を切った2005年は学校の遠足と重なり、主担当者だったため出場できず。 標準記録が年々上がる中、久しぶりに記録を突破し、初めて申し込んだ2011年は棄権。今のところ縁がない大会のようだ。
怪我から1週間、なかなか腰の痛みがとれない日が続いた。だましだまし走れる状態でもなく、 先週はひたすらストレッチと腹筋。気分を紛らわすために、21(木)に軽いシャフトを持って補強をした。 22日(金)には、日常生活は普通にできるようになっていたが、まだジョグでもひびく感じで、股関節を動かすドリルなどでも可動域が制限されている。 腰の下の方にいつもはない違和感を感じたので、念のため整形外科でレントゲンを撮ってもらった。 学校の近くの小さな病院で、先生がなんとなく頼りなかったが、レントゲン写真を見る限りは異常はないとのことで、 骨関係の負傷ではないと一安心。ヘルニアはMRIで見てみないと分からないのでその不安は心の中に残しつつ、 土日のリレーカーニバルの審判をこなし、結局1週間何もできないまま、織田記念の週を迎えた。 25(月)、出場の可能性を求めて、腰の状態を確かめながら走ってみる。「痛い」というか「違和感がある」。 腰痛が起こる前から変だった、左足の内転筋が異常に張っている。とても全力では走れなかったが、できる限りで走ってみようとこの日は300を5本(47"~53")、アップシューズで走った。 26(火)、昨日走った影響で状態が悪化。放課後、今日で決めるという思いで走ったが、やはり昨日と同じ状態。結局この日は300を3本(46"~49")アップシューズで走った。 そして、欠場を決め、メールにて棄権届けを提出した。 27(水)をレストにしたおかげで、28(木)にはかなり状態が良くなった。痛みはほぼなく、気持ちの不安がある程度。 この日は300を3本(45"~47")アップシューズで走った。 29(金)織田記念の日、気持ちの切り替えはしっかりとできた。今日は久しぶりにスパイクを履いて100を3本(12"~14")、ハードルドリルもできたし、ハードルも跳べた。 ほぼ腰の痛みはなくなった。ただ今日は、まだ腰の不安があったので、おそるおそるの練習だった。 しかし今回の腰痛は、普段のぎっくり腰だったと自分の中で理解できた。今は5月3日(火)の郡市区対抗陸上に何とか出場しようという思いでいる。 申し込んでいた試合を欠場するのは、2001年の近畿選手権以来、10年ぶり。 もちろん万全の状態で試合に出場できたらよかったのだが、今回のことでいろいろなことを考えられた。今後にきっと役立つに違いないと感じている。 気分のもやもやを解消すべく、過去に読んだ本を何冊か読み直してみた。印象に残った言葉を掲載し、幻の「織田記念」のコメントを締める。
「野村の監督ミーティング」 橋上秀樹
人間には技術的限界はあるが、挑戦するということにおいて限界はない。
「イチローの脳を科学する」 西野仁雄
失敗したとき「もうだめだ」とあきらめて戦う意欲をなくすと状態はますます悪くなる。次のチャンスも巡ってこない。失敗にもめげず、自分の意思、スタイルを貫き、再挑戦することが大切である。
2011/5/3 群市区対抗 (三木防災)
- DNS
織田記念の欄に「何とか出場しようと思っている。」とあるが、欠場することに決めた。 織田記念欠場後、土曜日は市民大会の競技役員のため練習を休み、日曜日は高槻のジムで初動負荷トレーニングを問題なく行った。 そして今日は、ハードルを跳んで動きを確認し、明日の試合に備えるつもりだったのだが…。腰の奥にまだ何かひっかかりがあって、 まだ100%は出せそうにないし、2週間の間、軽い負荷のトレーニングしかしていなかったので、脚に力が入らない感じだった。 この状態で試合に出ても仕方がない。無理をしたら走れるといえば走れるのだが、今の自分にとって「出場する勇気」よりも「出場しない勇気」の方が重要だと判断した。 頭の中で天使と悪魔が対決した(どちらが天使でどちらが悪魔か分からないけど)。
「ケガを言い訳にして欠場していいのか? 無理をしてでも出場するべきだろ?」
「郡市区で走ることがお前の目標か? 13"90を出すことが目標だろ?」
郡市区対抗陸上は西区の代表選手として出場しているだけに、かなり迷ったが、結局欠場を決めた。 前回の織田記念といい、今回の郡市区といい、3時のおやつが急になくなった子どもみたいな気持ちだ。とても残念。 しかし、繰り返しになるが、今の自分の一番の目標は13"90のタイムを出すことだ。急がば回れ、2週間のブランクを2週間かけて取り戻すくらいの気持ちでちょうどいい。 次回の関西実業団は、全日本実業団の出場資格の関係もあり、必ず出場しなければならないが、その試合にこだわるつもりは全くない。 2週間基礎をきちんと固めて、それから感覚を磨く練習をする。そして6月第1週の神戸市記録会でテストして、翌週の日本選手権、 さらにその2週間後の兵庫選手権で記録を狙う。こんな感じで中期的なプランを立て直したい。 今日はハードルを跳んでから出場を断念し、100を3本(11"7~12"4)走った後、 トレーニング室のマシンで冬季練習の最初の段階のような負荷をかける補強をした。 欠場を決めたからこそできた練習だ。まずは筋肉に効かせる練習を1週間くらいはしてみようかなと思う。 人生万事塞翁が馬。この試合に出られないもやもやや悔しさをバネにして、目標達成を目指したい。
月日 | 大会名 | 場所 | 重要度 |
5/15 | 関西実業団 | 鳴門 | ★ |
6/4 | 神戸市記録会 | ユニバー | ★★★ |
6/10 | 日本選手権 | 熊谷 | ★★★★★ |
6/25 | 兵庫選手権 | ユニバー | ★★★★★ |
2011/5/15 関西実業団 (鳴門)
- 決勝 15"47 (-4.2) (3着)
故障明け、第1戦。先週はまずまず練習できた。今週になり左の疎頸部に張りが出てきてやや練習量を落とした。 体調としては冬季練習をあけた第1戦といった感じだっただろうか。4.2mという強烈な向かい風が吹いたので、 今日の結果に対して自分の評価が出しにくいところだが、この試合の結果は気にしないという計画の中でやってきている。 今日の結果は全く問題なし。試合に出られたことでOK。良い練習になった。次は3週間後の神戸市記録会。14"3台くらいまで上手く調整してやろうと思っている。 今の気持ち…「早く練習がしたい」。
2011/6/4 神戸市記録会 (ユニバー)
- 15"19 (-3.3) (1着)
日本選手権に向けて、仕上がり具合を確認すべく出場した今日の記録会。結果は向かい風3.3mとはいえ、厳しいものとなってしまった。 確かに、股関節周辺の張りがなかなか取れず、気にしながらの練習にはなっているが、 アップをしているうちにだんだん気にならなくなってくるような状態なので、練習自体はまずまずこなせてきている。 練習中のスプリントのタイムも昨年並みにはなってきている。ハードル練習でも少しずつ良い感覚が出てきた。しかし、結果に結びついていない。 こんな経験は過去にもある。近いところで言うと、2009年の関西実業団。このときも練習中のタイムはかなりいいものが出だしてきていて、調整してのぞんだ試合だったが14"99。 しかしその6週間後の日本選手権では、5年ぶりの自己記録14"16を記録している。 うまくいかない時期の後に、きっと成功が待っている。こんな時期を我慢してこそ本当の喜びにであえる。 正直今日の結果にはかなり落ち込んでしまったが、落ち込んでいる暇はない。 自分を信じて、今するべきことをひとつひとつ着実にこなしていくしかない。日本選手権に向けて、5日(日)は初動負荷トレーニングを行い、体をほぐした。 あと5日は完全に疲労を抜くことだけを考える。ハードルの調子を確認したいという気持ちが出てきて、必要以上に跳んでしまうことだけはしてはいけない。 その後は兵庫県選手権に向けての調整だ。1週間強化練習を行って、ラスト1週間はもう一度疲労を抜く。 こんな状況からどこまで結果に結びつけることができるか。それもまた陸上競技の楽しみ方のひとつだ。
2011/6/10 日本選手権 (熊谷)
- 予選 14"40 (+0.0) (7着) [2011日本選手権予選]
社会人5年目に初めて出場できるようになった日本選手権。国立、ユニバー、長居、等々力、広島、丸亀、どの大会も印象深い。 そして自分にとって7回目の今年は埼玉の熊谷。その熊谷の日本選手権は、昨年までとは違い、自信満々で迎えられたわけではなかった。 先週の記録や股関節の状態がマイナス要因として頭をよぎる。1週間調整を行ったが、不安はなかなか拭えない。そんな状態で熊谷に向かった。 行きの車内では本を一冊読んだ。「一流の集中力」(豊田一成)。その内容も参考にして、自分の気持を整理した。
- 結果にこだわりすぎず雰囲気を味わい楽しもう
- 良いイメージを頭の中で繰り返そう
- 兵庫選手権にむけてのステップくらいに考えよう
とにかく今の自分の100%を出せるようにと気持を切り替えていった。結果14"40、落選。 しかし、今季のこれまでの流れから考えると上出来ではないか。雰囲気を味わい楽しむことができた。今後への自信になる結果だった。今年はこれで十分。 さらにレース後には、筑波大谷川先生のところに出向き、「アプローチの7、8歩目がどうしてももたつく」と相談してみた。 すると「アップを見ていたけど、押しすぎなんだよ。4歩まで押してあとはさばく。インターバルの走りから逆算しろ」と即答を頂けた。 そして3本走って、動きを見てもらい、ビデオも撮ってらい確認した。自分の中では明らかに動きの変化を感じられた。今年はこれで十分。 32歳で迎えた熊谷日本選手権。予選落ちで神戸に帰るが、モヤモヤはまったくなく、得るものはたくさんあった。 今後への自信、技術的な課題、目標に対するモチベーション。 ダウンを終え、32歳で日本記録を樹立した谷川先生と、「13秒を出しますよ」と握手をかわし、気持ちよく会場をあとにした。
2011/6/26 兵庫選手権 (ユニバー)
- 予選 14"63 (+0.0) (1着) [2011兵庫選手権予選]
- 決勝 14"54 (-0.5) (2着) [2011兵庫選手権決勝]
「負けて悔しかった」これしかない。自分の中では日本選手権のときよりも調子は良いと感じて、勝ちにいった試合だったのだが、 関西学院大1年山根選手に惜敗。本当に悔しかった。しかし14"54では、負けても仕方がない。結局は自分の調整不足だ。 今季の前半を振り返ると何といっても春季記録会後の腰痛が痛かった(本当の痛みという意味ではなく)。 結局それによって練習できなかった時期ができたり、トレーニングの計画が狂ってきたことで、ピークを高めることができなかった。 しかし、そういう年ほど、秋以降の大会では記録がでたりする。悔しさをバネに、次を考えよう。
- 7月31日 南部記念陸上(函館)…検討中
- 9月3日 近畿選手権(三木防災)…優勝する
- 9月11日 姫路選手権(姫路)…未定
- 9月25日 全日本実業団(鳴門)…決勝で勝負する
---とりあえずここまで---
自分の中では上り調子なので、7月の終わりの南部記念陸上に遊びに行ってもいいかななんて、今さっき思いついた。 北海道には合宿で行ったことはあっても、試合で行ったことはない。面白そうだなと思っているが、まだ検討中。 兵庫開催の近畿選手権は今日のリベンジのチャンス。ただ、ここで完全に仕上げに行ってしまうと全日本実業団でのピークが低くなりかねないので要注意。 全日本実業団は関西と同じ鳴門。5月の鳴門は強烈な向かい風だったが、9月は追い風が吹くだろうと信じ、ここで13"90を目指すしかない。 もしこのタイムが本当に出すことができたなら、決勝で上位に入ることも可能であろう。そして、結果を出すためにしないといけないことは、
- スプリント力の向上(伊川谷高校グラウンドでのタイム)
目標タイム AR(加速走) 100m:10"5/200m22"2
そのために走るTR(テンポ走) 95% 11"1/23"4 90%11"7/24"7
これで走りこむ - ハードル技術の改善
スタート4歩+4歩の技術習得
リード脚と抜き脚との協調(挟み込むハードリング)
ハードルを降りて走り出す局面の技術改善
上記徹底追及 - 動く体を作る
ジャンプ系の補強
MAXでのクイックリフト系WT
軽い重量で行うWT
体幹トレーニング
継続して行う
これをきちんとすれば、必ず記録は出る。13"90出す!!ではなく、そのために必要なことをする。 結果は後から付いてくる。最後に、最近読んだ本「やめないよ」(三浦和良)より
今日もすぐに過去になる。明日をどんな一日にして、どう自分を高めるか。
僕はそれだけを考えていたい。
サッカーを見るのが好きなのか、するのが好きなのか。
見ることがやることほど面白いとは思えない。やるのが一番。
タイミングをはかって引退するなんてことは、もはや僕の選択肢にはない。
そんなことも考えずに、ただ今日も一生懸命やる、明日も一生懸命やる。それだけなのだ。
44歳の現役プロサッカー選手はこんなことを言っている。カズダンスは嫌いだったが、この本に書いてあることには、共感できる内容がいろいろあった。
2011/9/3 近畿選手権 (三木防災)
- 中止 (台風12号接近による暴風警報発令のため)
兵庫選手権終了後約2カ月、まずはこの近畿選手権を目標にトレーニングを積んできていたのに…。 台風接近のため中止。このような状況(図)では実施は不可能。 延期や競技日程の変更も難しかったのだろうと推測し納得した。 今の状態はというと、夏季トレーニングの疲労もほどよく抜けてきて、徐々に調子が上がってきているなというところで主観的な仕上がり具合は80%から90%といったところ。 100%!!という感じでもなかったので、あっさりと割り切りがついたのかも知れない。県選のリベンジは果たすことができなかったが、それはまたの機会ということで。 今後の日程は次の通り
- 9/11 姫路選手権(姫路)
- 9/25 全日本実業団(鳴門)
- 10/1 秋季トライアル In Tottori(布勢)
上記3試合の結果次第で… - 10/29 香川カーニバル(丸亀)
姫路では最低でも大会記録の14"53を更新したい。近畿選手権がなくなった分、予定より少し良い状態に仕上げてみようかなと思っている。 全日本ではスタートリストだけをみると非常に厳しい戦いになりそうではあるが、実際は申し込みタイム通りにはいかないものなので、 決勝で勝負することを目標に、予選で14"0台を出せば決勝に残れるはずだ。鳥取は記録の出やすい競技場。100mと110mHにエントリーしている。 全日本実業団からの調子を維持して記録を狙いに行く。目指せ10秒台&13秒台!! 今年は春は腰痛から始まり、秋は台風で中止と、いろんなことが起こってくれる。 腰痛以降股関節周辺の筋肉のコンディションが良くなく、常にどこかに痛みがある状態だが、その中でも練習はこなせているし、調子も上がってきた。 自分の身体ともうまく付き合いながら秋のシーズンを存分に楽しみたい。
2011/9/11 姫路選手権 (姫路)
- 予選 14"77 (-1.6) (1着) [2011姫路選手権予選]
- 決勝 15"01 (-3.5) (1着) [2011姫路選手権決勝]
近畿選手権が中止となり、この姫路で記録を狙ってみようかなと思いつつも、 完全にここに合わせるようなスケジュールにしてしまうと今後の大会に響く可能性もあるので、ポイント練習も行う中で、 調子を上げていくことにも意識をおいて、この1週間を過ごしてきた。予選は気楽に走り14"77、決勝は一発記録を狙ってやろうと走ったものの、 強い向かい風の前に15秒台という結果に終わった。タイムははっきり言って悪い。しかし練習会場(土のグラウンドというか公園)での感触は今季No.1くらいによく、 インターバルも刻めていたので、調子自体はかなり上がってきているのだと実感できた。 空気抵抗は風速の2乗に比例するとのこともあり、 今日のタイムは仕方がなかったと納得している。 次回は全日本実業団。1週間負荷の高い練習を行い、 1週間はがくんと練習量を落とすという今のところの予定。技術的にはやはり第1ハードル。日本選手権、兵庫選手権(予選・決勝)、 そして今日の予選・決勝。5レース続けて第1ハードルにリード脚のかかとをぶつけている。自分の感覚としてはハードルを蹴り上げるような感じで、 ハードルは倒れず、バランスを崩して元の状態に戻るといったケースが多い。今日の決勝の前の練習では、土のグランドではあったものの、 アプローチを1足長詰めて刻んで走る調整を実施し、そこではまずまずまとまっていたのであるが、レースになるとまたぶつけてしまった。 そこをこの2週間で何とか修正したい。1台目をスムーズに越えられれば勝負できる。
今年から、応援団もひとり増えた。がんばらねば。なんとしても全日本実業団の決勝の舞台で勝負する。 そして、翌週の鳥取で13秒台を狙う。1日1日ベストを尽くすのみ。
2011/9/25 全日本実業団 (鳴門)
- 予選 14"47 (+1.5) (4着) [2011全日本実業団予選1] [2011全日本実業団予選2]
姫路選手権後、予定通りの練習をこなすことができた。先週、学校で行った100mの加速走でも10"54の自己記録で走るなど、 計画通りこの日に向けて仕上げてきたつもりだった。しかし、結果は、絶好の追い風をも活かすことができず、惨敗。 タイムもいまいち。アプローチ4歩目以降で大きく前に出られ、5、6、7、8歩目の走りが力んで乱れた。 そして、あれだけ繰り返し練習してきた第1ハードルの入りに失敗。腰が砕けたような状態になり、その後も不快な走りとなってしまった。 完全な失敗レースだった。サブトラックでの調子は良かったと思うし、まずまず身体も軽かった。自分なりに動作の確認をして本番にのぞんだのに、 練習でやってきたことを本番で発揮できなかった。悔しいというより残念という気持ち。 終わってしまった今となっては、次のことを考えるしかない。来週の鳥取に向けてどう仕上げていこうかということで頭がいっぱい。 気持の切り替えは早い。スタートラインに立った時に頭の中を「無」の状態にして集中する。力まず気負わず自然体で走る。 結果を求めずやるべきことをきちんとする。そんな感じのことができたらいいのかなと、今は考えている。気持よくゴールラインを駆け抜けたい。
今週の水曜の神戸新聞「決勝なるか 伊川谷教諭・福田 陸上全日本実業団」で大きく取り上げてもらい、 いろんなひとから声をかけていただいた。本当にありがたいことだ。この記事はこう締めくくってくれていた。 「13秒91の兵庫記録更新を見据え、戦い続ける。」 やるしかない。
2011/10/1 秋季トライアル In Tottori (布勢)
- 14"79 (+2.3) (1着) =追風参考 [2011秋季トライアル]
- 100m 1次 11"26 (+1.4) (1着) [2011秋季トライアル100m]
- 100m 2次 11"26 (+2.6) (3着) =追風参考
- 100m(1次) ハードルのアップのつもりで。絶好の条件を生かせず平凡なタイム。
- 110mH 調子は悪くなかった。8台目強打してバランスを崩しガタガタ。
- 100m(2次)70m 以降右ハムが気になり全力出し切れず。
100mもハードルも結果を出せず。きちんと調整してきたつもりだったが、追い風1.4mで11"26という100mの結果を見ても、そこまで動いてなかったのかもしれない。 技術的なことよりも、「動く身体」「バネのある状態」に仕上げることができていないことが、タイムに結び付かない原因であると分析した。 試合に対するモチベーションを維持することは簡単なことではなく、過去の経験もふまえて今季はこれで終わりかなと試合前から考えていたので、 この日は試合終了後、その足で家族旅行。大山に向った。道中、運転をしながら冬季練習で身体を一から作り直そうと自分なりに考えた。 そしてホテルでは、日頃食べ物などもある程度節制しているけど今日くらいいいやと、おいしいものをたくさん食べて、「おわった~!」という気分に浸った。
翌日、身体のいろんなところにガタが来ているので10月はのんびり過ごそうというのが事前の計画だったが、 昨日の競技終了から寝るまで気分転換をしたら、なんか気が変わってきた。朝食前、温泉につかりながら考えた。 頭の片隅にあった香川カーニバルまではあと4週間。冬季練習で一から作り直そうと昨日考えたことを4週間のショートバージョンでやってみたら案外いい感じになるんじゃないか? なにより、今季ベストが14"40であることが気に食わない。なので、香川カーニバルに申し込んでみようかなと思う。過去にも何度かやったことがあるが、 細かなスケジュールを立てずにその日の気分や思いつき、練習の流れの中で感じることを大切にするスタイルで4週間やってみよう。 もし4週間後モチベーションが高まっていなかったら出なくてもいい。それくらいの気持ちで。自然体で、しかしやるべきことの本質は見失わないようにして。 あきらめが悪いというのか、粘り強いというのか、自分でもよくやるなと思うが、とりあえず後4週間の挑戦だ。 試合期はクレアチンを摂取しており、メンテナンスの時期には1日5グラムお湯に溶かして毎朝飲む。今朝は飲まなかった。 後1ヶ月メンテナンスを続けないと。帰宅途中の中国自動車道のサービスエリアでトランクからクレアチンとマグカップを取り出し、 サービス用の熱いお茶で溶かして飲んだ。
2011/10/29 香川カーニバル (丸亀)
- 予選 14"57 (-1.0) (2着)
- 決勝 14"51 (+0.3) (3着)
鳥取からの4週間は、自分が考える中で、やれることはやりつくしたと思う。 スケジュールを調整して練習時間を確保すること、練習メニュー、練習に対する取り組み方など。 結果は2本とも14"5台で満足のいくものではないが、今季の流れから考えるとまあこんなもんかなと納得のできるものではあった。 予選は向かい風の中、後半リード脚の太ももの裏をかする流れにはまり、5、6台は太ももの裏をかすって走ったという内容、 決勝はいつも通りスタートで出遅れ、2台目で隣の選手と接触してしまうという内容だった。 いずれも良い内容は言えないが前述のとおりやれるだけのことはやったという感じが強かったので走り終わってすっきりできた。
これまでの流れを振り返ってみる。初めての15秒台は高3の県総体予選で15"74。 予選3位で通過するも準決勝は1台目のハードルに強打し転倒。近畿総体への夢はそこで途絶える。 筑波大入学後1、2年は記録が伸びずに苦しんだ。もし陸上をやめていたとしたらこの時期だっただろう。大学2年では16"07が最高だったが、 周りの人たちに支えられ心身共に強くなれた大学3年、15"02まで記録を伸ばせた。 そして大学4年の兵庫選手権で初の14秒台となる14"83を記録した。2001年からは兵庫県の教員となり地元に帰ってきた。 2006年までの6年間は伊丹市立高校という定時制高校に勤務していた関係で午前中にオールウェザーのトラックで練習ができた。 その間の自己ベストは2004年の大阪選手権準決勝でマークした14"20。向かい風の中でのレースだった。2006年は日本選手権と国体が兵庫開催の年だった。 定時制勤務もこの年が最後という思いもあり秋の最後の最後まで記録を求めて転戦した。 この年の秋の香川カーニバルと国際武道大秋季記録会の2試合は思い出深い。 伊川谷高校に転勤してきた2007年、環境の変化に対応できるかという不安もあったが、関西実業団,日本選手権で立て続けに14"2台。 初めて日本選手権の準決勝に進んだ年でもあった。しかし、その年の秋から翌2008年にかけては記録が低迷。土のグラウンドでの練習の限界を疑ったこともあったが、 2008年の冬は砂浜での走りこみなどを積極的に行った結果、2009年広島の日本選手権で5年ぶりに自己記録を更新できた。 向かい風の中14"16。準決勝にあと1歩及ばず5年ぶりの自己記録なのに満足感はなかった。 続く2010年は順調な1年。関西実業団で14"14。そして日本選手権ではギリギリのギリギリで残った準決勝で14"05を出すことができた。 そしていよいよ13秒が見えてきた今年2011年は4月の腰痛以降股関節周辺に常に違和感を抱えながらのシーズンになり、シーズンベストが14"40にとどまった。
今年、社会人11年目は33歳のシーズンと数えるのが普通だが、自分は12月生まれということもあり、32歳のシーズンと考えることにしている。 マスターズの大会への出場資格は試合の行われる日の年齢ということもある。そう考えると来年は33歳のシーズン。 世間では人生の最後を自分で考えるエンディングノートといったものがはやっているとかいないとか聞くが、 そろそろ自分の競技生活にもそんなノートが必要な時期にさしかかってきているのかとも思う。 基本的には今自分がいる環境の中で、1年1年全力で勝負するしかないのではあるが。 自分の考えはこうだ。昨年の日本選手権、記録が14"05にとどまったのは陸上の神様のプレゼントだ。 来年も13秒台への挑戦ができる。とはいえこれから先、記録を伸ばそうと思うのなら若ければ若い方が良いと考えるのが一般的だ。 従ってまずは、34歳の2013年までに13"90を出す。35歳になる2014年からはマスターズにも挑戦してみたい。 ハードルの高さは1段低いジュニアハードルで現在の日本記録はM35クラスが14"10、M40クラスが14"85。 世界マスターズは屋内と屋外が1年ごとに開催されているようであり、自分が出場できる最初の屋外大会はおそらく36歳で迎える2015年のフランス大会。 参加料と旅費さえ払えば出場はできそうなので、家族旅行も兼ねて一度行ってみたい。そしてそのあとは40歳で14秒台か? ここまでのことも含めてその時にならないとわからないことばっかりだが、自分の描く青写真はこんな感じだ。
そんな先のことを考える一方で来年に向けてやるべきことも考え中。伊東選手が10"00で走れば「初動負荷」、 末續選手が銅メダルを取れば「なんば走り」、福島大学が躍進するようになれば川本先生の「ポンピュンラン」、 福島千里が日本新を連発すれば「レッドコード」。その時々にはやりがあるものだが、これをしたからすぐに速くなるという特効薬みたいな練習なんてない。 結局は自分にあった、自分がこれと信じる方法を徹底して行い、地道に継続するしかない。 自分の経験から出てくる、今のアイデアを信じて、徹底して技術を追及し、継続して地道に身体を鍛えるしかない。 ハードリングに対するイメージもいろいろある。過去にも触れたことがあるが、比較的身長が低い古川選手や青木選手は「すばしっこい」という感じでダッシュが早く、 ハードリングは「鋭い」。そんなイメージをもってやったこともあるが、どうも189センチの自分にはしっくりこない。 モーゼス選手なんかは本当に力強く、ハードルの向こうに抜けていく。しかし彼の身体能力あっての技術だろう。 結局自分がお手本にしたい動きはどんな感じの動きかというと、 例えば、今回の香川カーニバルにも来ていた大橋選手(筑波大→ミズノ)の動きは、本当に教科書通りのといった印象で自分にとっては参考にしたいイメージである。 体幹で抜き足をコントロールし、股関節で下肢をさばいていた。そしてその大橋選手も大きく影響を受けているであろう、 自分の中で一番理想的なお手本にしたい選手は、13"39の日本記録保持者谷川選手 [2004アテネ五輪谷川選手]であった。結局めぐりめぐってここに戻ってきた。 日本記録を出した時の映像は何回も見た。日本選手権や全日本実業団で同じ組に入ることも過去に何度かありその映像も何回も見た。 学生時代は一緒に練習することもあったが、特に印象に残っている練習風景はその頃のものではなく、 2003年の香川カーニバル(日本記録を出した前の年)のサブトラックでのアプローチ練習である。 練習方法もいろいろあるように、ハードリングのタイプもいろいろあろうかと思うが、自分の中での理想のイメージを固めて、 それを追及していきたい。
過去のことを振り、未来のことを想像し、2011年のシーズンはこれで終了。昨年の後半から今年にかけてやや低迷期を過ごした。 今までの流れから考えても来年は好転しそうだ。いや、必ずそうさせよう。