2014 (H26/社14/35歳)

2015/3/15 兵庫実業団記録会 (尼崎)

2013年の12月で35歳を迎え、世界マスターズの出場権を得た。このタイミングしかないと思い、3月25日からハンガリー・ブダペストで開催される、 世界マスターズインドア選手権に出場する。それに向けて、例年より早いペースで仕上げていた中でのこのタイムは不本意ではあるが、感覚的には得るものがあった。 過去にも、目標としている大会の2週間前の大会で結果が出なかったことは何度もあった。やっていることは間違っていないと確信しているし、主観的な感覚は良いので、 今の調子で後2週間きちっと調整したい。すでに旅行の手配やエントリーは完了している。 チケットや外貨も手元に届いた。初めての海外でのレース、初めての室内でのレース、初めての60mHを思いっきり楽しんできたい[ユニバー練習]。

2014/3/28,29 世界マスターズ室内 (ブダペスト)

7秒台で世界一。これを目標に昨年12月に出場資格を得てから最初に開催されたマスターズの世界選手権、 インドアのハンガリーブダペスト大会に出場したが、結果は1位と1000分の3秒差で2位、銀メダルという結果であった。 決勝のレース、ゴールした瞬間は、自分の中では1位か2位かは5分5分だったが、周囲は口々に”You win.”というようなことを言ってくれたし、 優勝したハンガリーの選手の小さな娘さんたちが、悲しそうな顔で私のほうを見ていたので、勝ったのではと少し期待を抱きつつ結果を待った。 しかしスクリーンに映しだされた結果は…

この結果を受け止めるのには少し時間がかかった。相当悔しかったが、悔しいだけでは始まらない。 悔しい顔をしても仕方がない。勝者をたたえて、敗因を分析して、次のことを前向きに考えること。それが大切。 以下、今回はかなり長くなりそうだが、出発から、予選、決勝、帰国後のことまで含めて、今の思いを綴る。

ブダペストへ その1

ホテルと飛行機のチケットは、学校でお世話になっているJTBの上田さんにお願いした。 空港からホテルまでの交通手段や切符の買い方なども入念に下調べをして、準備万全のつもりで自宅を出た。 関西国際空港までは海上アクセス「ベイシャトル」を利用、到着後すぐにルフトハンザのチェックインカウンターを探して、エコノミーと書かれた列に並んだ。私のフライトは

だ。予定では今日の19時30分(現地時刻)頃にホテルに着く。しかし、順番待ちの列から案内表示を見ていると、びっくりする内容が飛び込んできた。 「フランクフルト空港職員ストライキ」。おいおいまってくれ、どうなっているんだ? 詳しいことは分からなかったが、明らかに嫌な感じがした。 そして予想通りカウンターのお姉さんからLH741便の欠航を知らされ、一瞬不安になったが、間もなくして代替便を紹介された。 これが最短というから仕方がない。予定より4時間半遅れ、地下鉄の終電の時間を過ぎてしまうので、ブダペストの空港からホテルまでの交通手段を変えなければならない。 できればエアポートミニバス、もしくはタクシーで行こうと考えた。少し不安もあったので、念のために一万円を現地通貨フォリント(Ft)に追加で両替しておいた。 出発まではしばらく時間があったので、ルフトハンザでキャンセルのお詫びにいただいた千円のお食事券で「マンゴーオレンジジュース」を飲んだ。 このマンゴーオレンジの代償はとても大きなものとなる。12時25分、エールフランス291便に乗り込み出発を待つ。がしかし、またしても様子がおかしい。 ここはまだ日本なので、日本語でも説明が流れる。機体の一部に不良があり調整中だとのことだった。これがなかなかうまくいかない。 結局約2時間待たされ、ようやく出発したのは14時30分頃だった。乗り継ぎに対する不安はもちろんあったので、 乗務員に聞いたところ「地上スタッフと連絡し調整している」というあいまいな返事しか返ってこない。 個人用の小型モニターに映るフライトインフォメーションによると到着予定時刻は18時22分。次の便が予定では18時15分発。本当に大丈夫なのか? 不安は増すが、これに乗ってパリに向かうしかない。機内では本を2冊読んでリラックスしつつ、万が一に備えて、これからのことも考えた(機内でのメモ)。 到着予定時刻は最後まで変わることなく、AF291便はフライトインフォメーション通り18時22分にパリ空港に到着した。 とにかく今できることは少しでも早く手続きをすることだと、チケット片手に乗り継ぎ口へ急ぎ、バーコードを案内機にかざした。ピッ。 "The Flight has already gone."やばい、カウンターの黒人女性に問い合わせてみる。 当初彼女は、私はミュンヘンまで行くと思っていたようだったので、もう一枚のチケットをちらつかせて、今日中にブダペストに行きたいと伝えた。 彼女の表情は険しい。どうやら本日中に到着することは不可能らしい。不安が募る。しばらくして、彼女から提案があった。 これしかない。想定の範囲内だ。"OK"と承諾し、2度目となる手書きチケットを受け取った。 荷物のことが気になったので、聞いてみると、ミュンヘン行の便は空港内の違うターミナルから出発するので、一度取り出してとのこと。 ここを直進してターンテーブルに向かってくださいと言われたので、赤いカーペットが印象的なパリ空港の入国カウンターを通過しターンテーブルに行くと、 ご丁寧に日本語で(関空からの便だから)「荷物の受け取りは終了しました」と書いてあり、ベルトコンベアは止まっていた。 ますます不安になったが、とりあえず荷物インフォメーションに向かい、今度は白人女性に荷物札を見せて私の荷物はどこにあるのかと聞いた。 すぐに理解してくれた。便利なものでバーコードをかざすとすぐに状況がわかる。荷物は確かにパリ空港内にある。 ここを出てすぐ左手にある34番の小さなターンテーブルから19時25分に出てきます、と聞き取って無事に荷物を手にすることができた。 よし出発まであと2時間、できることをするしかない。きれいで広い車いす用のトイレを見つけ、スーツケースを広げ、ジャージに着替える。 サブバックも試合用のものに変え、中にユニフォームやカロリーメイトなどを入れた。スパイク(3足持参) は悩んだが危険物とみなされたら困るので、不安だったがスーツケースのほうに入れた。 そして広大なパリ空港の第1ターミナルに移動し、そわそわ不安な気持ちのまま次の作戦を考えた(パリ空港でのメモ)。 不安でたまらなかったが、メールやFacebookで日本ともやり取りしながら気持ちを紛らわせて、 ミュンヘン(英語ではミュニックという。最初は何のことか分からなかった)へ向かった。

ブダペストへ その2

23時00分(出発してから24時間が経過した)、ミュニックについた。他の乗客たちは出口に向かっていたが、その流れに惑わされることなく、 "connecting"の案内を探して、一人エスカレーターで2階へと上がる。深夜の清掃スタッフが数人いる程度で、ほとんど人影なはい。 ただ、この空港は近代的でとても美しい。そしてまた広い。Gから始まる番号で表された搭乗口は一直線に配置され、端から端までだと1kmはゆうにありそうだった。 空調はよく効いており寒くなかったのは良かった。明日の搭乗口となるG37を見つけて、近くのソファで横になった。 人はほとんどいないとはいえ、貴重品は身に着けておこうと、パスポート、財布、携帯は懐に忍ばせた。 深夜の空港はこの広さに対してこの人数かと思うほど少ない人数で清掃が行われている。外からは電気ドライバーのような音。 ボルトを締めなおすようなことをしているのか。時折、電動カートが近づいてきては遠ざかって行った。朝の5時までは横になっておこうと決め、眠ろうとするがほとんど寝つけず、 2回トイレに行った。1回目のトイレの時には、清掃係りのおじさんから"Do you come from Japan?"と尋ねられ、 ドリルの音がうるさいだろうから向こうのほうがよく寝られるよと教えてもらい、おまけにおじさんが食べていたオレンジを半分分けてもらった。甘くておいしいオレンジだった。 2回目のトイレの時、懐に忍ばせていた携帯を、美しく磨き上げられたタイルの上に落してしまう。それをすぐに拾ってトイレに行くと、 さっきも気になったのだが小便器にまたハエが張り付いている。よく見るとどの便器にもハエが張り付いている。これは「ここを狙え」という意味のシールだと気付いた。 これは面白い、誰もいないし写真を撮ってやろうと、ポケットに入れなおした携帯を取り出した。が、操作できない。よく見てみると液晶に1本きれいな筋が入っていた。 画面はきれいに映っているが、一部を除いてタッチしても全く反応しない。「やってしまった」。少し気分が落ち着いてきたところだったのに、 便利な日本との連絡手段もなくなってしまい、また少しへこんだが「自分はハードルを走るためにハンガリーに行くんだ」と言い聞かせて、5時になるのを待った。 結局ほとんど寝つけなかった(液晶はアウトで操作できなかったが、サイドにあるカメラボタンは生きていたので、写真は撮れると後から気付いた)。

ブダペストへ その3

5時になった。少しは疲れが取れたようだ。機内用バッグに詰め替えておいたカロリーメイトと、パリ空港でかったミネラルウォーターを朝食にし、 ウォーミングアップを始める。ストレッチは問題なくできた。走るスペースはいくらでもあったが、さすがに危険なので走ることはしなかった。 静的、動的なストレッチやドリルを十分にしていれば、すぐに走れる。また、アップを兼ねた散歩中に無料で使用できるパソコンを発見。 ocnウェブメールとFacebookにログインできたので、携帯が壊れたことを日本語入力できないPCから送信した。これで一安心だ。 ミュニックからの機内では2人掛けの座席に1人だったので、脚を伸ばしストレッチができた。 そして8時05分、フライトスケジュール通りにブダペストに着いた。 さあこれからが勝負。まずはターンテーブルの一番先頭を陣取り、荷物が出てくることを祈る。パリとミュンヘンで2回確認はしたが、これが最後の不安だったが、荷物はちゃんと届いていた。 すぐに荷物を取り上げて出口に走る。あっけないことに10秒でタクシー乗り場に着いた。パリを経由しているのでここでの特別な手続きは不要であったのだ。 ラッキー。走ってタクシーに向っていると怪しいスキンヘッドのお兄さんに"TAXE?"と声をかけられたので、私"Yes!" 、彼"OK!"。 ととんとん拍子に話は進み、彼のタクシーまで100mほど走った。ここから市内までの相場は地球の歩き方3500~6000Ft、JTB8000Ft、と調べていたので、 こちらから10000Ftであらかじめ手を打っておいて、とにかく急いでもらった。彼は本当に飛ばしてくれ、車線変更を繰り返して車を追い越し、渋滞しているところでは裏道を抜け、 9時には会場に到着した。山あり谷ありだったが何とかスタートラインに立てる。あとはベストを尽くすのみ。

予選

会場に着くやいなや、TICに向かう。ここで受付をしてナンバーカードを受け取るのだ。ただ予定外だったのは大きなスーツケースを伴っていること。 [TICに預かってくれるよう伝えるがうまく理解されず、なんとかボディラングウェッジを交えて、200Ftの有料クロークがあることを教えてもらえた。 ちょうどそこに日本選手団が通りかかり、話ができた。このホールから出たすぐ裏手に直線のオールウェザーの走路があると聞き、 そこで基本走、スピードバウンディング、スパイクを履いて1台のみのハードル。OK。コールルームに向かう。 行ってみるとコールルームから見えるインドアのトラックでは、練習できないはずだったのにハードル練習が行われていた(まだ試合前だったからだと思う、翌日はなかった)。 ラッキーと、ここぞとばかり私も参入。まずまず動く。外のオールウェザーにはなかったスタブロもあったので、アプローチの練習もできた。 さっとハードル練習を終え、コールルームの前で時間を待った。会場でのハードルは、途中からやめるように指示が出ていたのだが、 問答無用、特にアメリカ人は注意を全く無視して、走り続けていた。到着してすぐに感じたが、いつもの大会と雰囲気が全く違う。 これがヨーロッパで開催される世界大会なのだ。いやでも気分が盛り上がった。 日本以外の各国の選手はオリンピックや世界陸上で見るナショナルチームのユニフォームやジャージを着用している。 後で日本の選手から聞いた話ではあるが、日本は陸連が"Yes"と言わないらしい。 私も持参ユニフォームで走ったが、本来はルール違反。気にはなっていたが、マニュアルには国の認めたユニフォームみたいなことが書かれていた。 よく意味が分からなかったがそういうことだったのだ。インドアの今回はパスできたが、本来はアウトになるかもしれないらしい。この件はラッキー。 ただ日本の有名スポーツメーカーでJAPANのロゴ入りウェアを作成しようとすると、まったがかかるらしい。 みな工夫してウェアを準備していた。これは組織的な課題であるようにも感じた。 予選のレース、NT(記録なし)でエントリーした自分は1組7レーン(一番右側)。右寄りを走る傾向にある自分が最も好きな位置。右に誰もいないので走りやすい。 7”94のエントリータイム1位のCollins Liam(英国)も一緒だったが、私が1位で8”16、Liamは8”40で3着にとどまった。 安定した無難なレース。いろいろあったが予選はクリアできた。またこのタイムは全体を通しても1位。この後は少し散歩をしてからゆっくり休んだ。

決勝

世界マスターズは世界のアスリート同士が交流を深める場でもあった。会場をふらふらしていると、 予選で同じ組の2着に入ったSantos Amancio(ポルトガル)に声をかけられ記念撮影、Facebookを持っているのかと聞かれたので、 "Yes"と答えると、IDカードの名前も撮ってくれ、「写真やビデオを共有できるよ」と言ってくれた。予選2位通過のPalagyi Gergely(ハンガリー)からも声をかけられ、 「8秒16だったね。僕は5レーンだよ」と言われた。 初めは「5位だったよ」だと思ったが、後から考えると5レーンだった。 それがわかっていれば対応もうまくできたのに。昨日一緒に走ったLiamともサブトラックでハイタッチの挨拶を交わしてお互いの健闘を誓い合った。 とにかく皆社交的だった。ここに来て、自分の中の世界がぐんと狭くなった気がした。ツアーの旅行では絶対に体験できない。 アップを終えて、コールを済ませて競技場に入る。皆予選の時とはテンションが全然違う。自分のライバルであろうハンガリーの選手は5レーン。 彼の練習を見ていると、彼は左脚がリード脚(自分は右脚)で、レーンの左寄りを走っていることに気付く。 これは接触するパターンだ。 スタートで出遅れることが予想されたので、後ろに押されるとまずいと考えた。 できる限り自分のスタブロを3レーン(左)寄りにセッティングした。 前半の接触も想定してイメージを膨らませ、5台目以降に先頭に出ればよいと考えた。 そしていよいよ本番。やはりスタートで出遅れたがさほどの差ではない。1台1台、 5レーンのGergelyに迫り、5台目はほぼ同じ、ランイン勝負になり思い切って左肩を突き出してフィニッシュした。どうだ?? 自分の感じでは勝ったか負けたかは5分5分。今回特にお世話になった秋山さんがゴールに駆けつけてくれ、日の丸を手渡された。 結果も分からない段階でやや戸惑ったが記念撮影。「勝ったと思うよ」とのこと。 コールルームの荷物のところに戻り結果を待つ。 M55に出場のブラジル人からも「俺の目には君が勝ったように見えたよ」と言われて、ついでに自分のレースをこのカメラで撮ってくれとカメラを手渡された。 そのやり取りをしている目の前には、Gergelyが家族に囲まれている。娘さんが私のほうを見ている。視線が痛い。 私が優位という見方が強いように思えたが、結果は先述の通りだった。会場のスクリーンには1000分の1のタイムが表示されるので、 1000分の3秒差の2位だと分かった。いろんな知識があるだけにあれこれと頭の中で考えたが、結局私は2位だ。 Gergelyにおめでとうと伝えた。彼も1000分の3秒差を気の毒だったねと言ってくれた。初めての世界マスターズ。結果は銀メダル。 くやしさは残るが気持ちを切り替えなくては。今回金メダル取れなかった分、もう一度チャレンジする理由ができたではないか。今後の予定は

となっている。ヨーロッパの大会にもう一度出てみたいとか、次は家族と一緒に行ってみたいとか思う。 5歳刻みでクラスが変わるマスターズでは、一般的には年齢の下一桁が0か5が有利だ。そのことを考えるとタイミングも重要。 子どもがまだ小さいので、一緒に行くなら40歳以降の大会か? いろいろ考えるとまた楽しくなってくる。

世界マスターズを終えて 今後のこと

この大会を通して、世界の人々とコミュニケーションをとって交流することのすばらしさを知った。 また次の楽しみもできた。マスターズだけではなく、今の自分の競技に対しての目標はざっとこんなところか。  

欲張って、大会を絞りきれないのは良くないが、とにかく上のようなことを一つでも達成したい。 それを目指すうえで、今の伊川谷高校の練習環境は自分にとって申し分ない。 しかし、このまま居心地のいいところで同じことを繰り返していても自分は変わらないのではないかという考えも芽生えてきていた。 そんな思いを抱いている中、この4月からの転勤が決まった。長田高校、自分の母校である。 設備面では十分整えられていると思うが、新しい環境に適応するのには少し時間がかかるかもしれない。 自分の練習メニューやスタンスを少し変える必要があるかもしれない。しかしそういうことをやってこそ進歩が得られるはずだ。 本当は世界チャンピオンの肩書を引っ提げて母校に戻りたかったのだが、それがない代わりに新たな目標(夢)を手にして神撫台(長田高校グラウンドのこと)に帰ってきた。 中学を卒業して、高校に入学した時から、ちょうど20年。私が好きな馬場俊英さんの「旅人たちのうた」という歌にこんなフレーズがある。

「旅人たちのうた」 馬場俊英

30代は大人の10代 青春を繰り返すような
時が流れて家族が増えて 生まれ変わった夢もある
大人になった子供たちはみな不器用な旅人だけど
いつか僕のチャンピオンベルトを腰にまいてやる
誰だって押し入れにしまえぬ思いがある

私の陸上の原点ともいえる、神撫台グラウンドに20年経ってまた帰ってきた。30代は大人の10代なのだ。 いつか僕のチャンピオンベルトを腰にまいてやる。押し入れにしまえぬ思いがある。 今の陸上部の横断幕にはこう書かれている。「夢を追え」。自分にとってもってこいのフレーズだ。20歳年下の生徒たちと一緒に、今年からは神撫台で夢を追う。

2014/4/3 神戸市記録会 (ユニバー)

世界マスターズに向けて、早めに仕上げてきたので、その流れのまま今日の記録会と日曜日の記録会には出場しようと考えた。 転勤もありなかなか十分に練習できないことも予想されたので。結果は久しぶりに23秒かかってしまい低調なものであったが、 世界マスターズを終え気持ちが少し切れかかった、新しい環境にまだ慣れることができていない状態で、予定通り試合に出て走りきったことは、 今後に向けてのよい練習にはなった。日曜日、こんどは専門のハードルになるが、もう一本きちっと走って、その後はもう一度身体を作り直したい。 例年なら5月3日の郡市区に出場して、関西実業団という流れであるが、今年は郡市区は見送る。その代わり3月にできていないトレーニングを4月にきちっとやりたい。

2014/4/6 春季記録会 (ユニバー)

世界マスターズに向けて仕上げてきていたので、その流れでどれくらい走れるか走ってみたというような感じではあったが、追い風とはいえ4月上旬に14"5台は自分としては合格点。 マネージャーが計ってくれていたタッチダウンタイムによると、インターバルのタイムが全て1"10以上かかっているので、 今後は走りこみやウエイトトレーニングをするとともに、インターバルを1"07~09で走れるようなトレーニングをしたい。 そして最大の課題であるスタートの改善にも取り組みたい。今日、長田区から郡市区に出ないかという甘い誘いがあったが、 出たい気持ちをぐっとこらえて断った。4月は試合のことを気にすることなくしっかり鍛えなおすのだ。調子の波を大きくして、ピークを高めたい。

2014/5/18 関西実業団 (長居)

3月に世界マスターズ室内に出たということ、転勤で練習環境が変わったということ、2つの理由でいつもの年とはシーズンの流れを少し変えている。 5月の大会は重要視せず、6月下旬から7月上旬にピークを持ってこようという作戦である。4月にしっかり走った分、今日段階での仕上がりは主観的に80%だった。 そんな状態で向かい風の中、後半流した予選のタイムはまずまず。決勝は、3台目付近で接触してこけそうになり、グダグダになったのでタイムはあまり参考にならないが、 普通に走っていれば14秒前半は出ていたと思う。今後は、練習がてら神戸市記録会に出て、大阪選手権と兵庫選手権に照準を合わせる。 自分が大切にしている練習のひとつに200mのテンポ走(シーズン中は3本、昔は3本2セットやっていた)があるのだが、 長田高校の井上先生と話をしているうちに、ちょっと200mの頻度を減らして、ミニハードルなどを用いたピッチアップできるスプリントトレーニングを入れてもいいかなと感じている。 200mの走りこみを減らすことは、自分にとって少し勇気がいることなのだが、せっかく環境も変わったことだし、同じことを繰り替えいしていても化学変化は期待できないし。 思い切った取り組みが必要である。また今日、和戸君(ベスト13"71)と三田君(ベスト13"83)にハードルに入るためにどんなイメージを持っているか聞いてみたところ次のように答えてくれた。 和戸君の回答は昨年の国体チャンピオン古川選手が言っていた内容とのこと。

近年13秒台を出す選手が続出しており、これらはその背景にあるイメージではないかととらえ、 この言語化されたイメージを実際の動きに表現できるよう、自分なりに消化出来ればと思う。早くハードルが跳びたい。 前述の通り、あえて完全に仕上げていない中とはいえ、負けるのは悔しい。しかし、この大会(出場しなかった郡市区も含めて)を犠牲にして悔しい思いをしているからこそ、 次に大きなピークがやって来るんだという信念がある。そしてそれが次の自信となりモチベーションになる。6月29日大阪選手権(長居)では記録を、 7月13日兵庫選手権(ユニバー)では優勝を狙う。

2014/6/7 神戸市記録会 (ユニバー)

関西実業団から2週間しっかりと練習をした。その後はかなり疲労感があったので今週は疲労を抜くことに専念。 おかげで疲労感はなかったが身体がスカスカな感じで、記録についてハードルはこんなものかなという気もするが、100mはさっぱりだった。 走れていない。3週間後の大阪選手権、さらにその2週間後の兵庫選手権に向けて、まずは走れる状態を作る。 練習でやりたいことはたくさんあるものの、いざグラウンドに上がるとその時点で疲労困ぱいで集中しきれないことが間々ある。 今の自分には正確で切れのある動きを繰り返すことが必要と考えているので、やっているだけの練習にならぬよう、アップを工夫するなどして質の高い練習を行いたい。 目標とする試合で満足のいくレースがしたい。

2014/6/29 大阪選手権 (長居)

例年通り今季前半の天王山として位置付けた大阪選手権と兵庫選手権。 第一戦の大阪選手権は、向かい風1.1mの中、準決勝で14"37。 客観的に考えると悪いタイムではないのだが、もう少し出せたかなという感じが強い。 レース中、レーンの右に寄る悪い癖が出て、2度バランスを崩した。踏切局面で上下方向(浮かないよう上体を押さえて突っ込む)についてはかなり意識ができているが、 左右方向の意識がやや足りていない。明らかに力が右に逃げている。練習でも力を身体のセンターに集めることは意識しているが、まだまだ定着していないので、 この点については改善の余地がある。改善の余地ありと感じた準決勝のレースだったので、もう一本走りたかったが、決勝には100分の2秒届かなかった。 しかし、ここは前向きに考えよう。3本走ることの身体への負担を考えると、準決勝で敗退したことは、兵庫選手権にむけてはむしろプラスに作用するはずだ。 2週間後の兵庫選手権。今年は例年になく厳しい戦いが予想される。学生が順調に力を伸ばしているし、社会人ハードラーも参入してきた。勝つために必要なことはは、 まず自分が100%のコンディションに仕上げて100%の力を発揮すること。そしてアップを含めた当日の行動を通して心理的に優位に立つこと。それができれば勝機はある 自分を信じて1日1日やるべきことをきちんとする。自分を信じて無心で走る。兵庫選手権の決勝を、心身共に最高の状態で迎えるための戦いは、すでに始まっている。 

追伸

先日母が家に来たので、世界マスターズの写真を見せた。

「2477、あんたが好きやったお父さんの車のナンバーと一緒や!」(写真では、私が2を隠している)

今回は陸上の神様ではなく、天国の父親が応援してくれていた。なんだか勇気が湧いてきた。

2014/7/13 兵庫選手権 (ユニバー)

大阪選手権の準決勝敗退が決まった瞬間からは、2週間後の7月13日15時10分の兵庫選手権110mH決勝を目指して生活を送った。 試合と試合の間が2週間あくときは、1週間目に強い練習をして、2週間目は練習量を落とす。 自分にとって練習メニューはこれで間違いない。陸上の練習をする時間24時間のうちせいぜい3時間、試合前は1時間程度なので、 残りの21時間ないし23時間の過ごし方も重要になる。仕事、家事、息子の遊び相手、決しておろそかにすることなく、 その上でできるだけ疲れをためない生活を送ることを心がける。 7月9日付神戸新聞朝刊で、平井健太郎選手(京大)の記事を目にした。この選手のことはこの記事で初めて知った。 「勉強との両立とよく言ってもらうが、そういうのはないという考えにもなった。結局勉強時間に勉強して、陸上の時間に陸上をしているだけ。」その通り、と妙に共感できたので、 記事を切り抜いて保存しておいた。その9日は試合前の最終ハードル練習、OK調子はよい。翌10日は初動負荷トレーニングで筋肉の状態を確認して状態を整えた。 11日は練習なし、12日は試合前日最終調整、OK。今年の兵庫選手権は申込みランキングで5位。関西学院大学の山根選手は先週の西日本インカレで13"87。 今季から住友電工に入社の三田選手は昨年の自己ベストが13"83。だがしかしそんな記録は関係ない。明日勝つか負けるかに今までの記録は関係ない。 やるべきことはやった。9日のハードルの感触は今年一番との手応えがあった。強がりではなく、勝つのは俺だと本気で思えている。心身共に状態はよい。明日の試合が楽しみだ。

~ここまで前日に記述~

今年の自分にとっての大一番、兵庫選手権が終わった。決勝では向かい風2.3mとはいえ14"73かかって第3位。1位とは0"08秒差。 3位という順位は2000年(大学4年)の時以来(それ以降はずっと1位か2位)。3年前山根選手に負けたときも、6年前小池選手に負けたときも、9年前加藤選手に負けたときも、 相当悔しかった記憶があるが、今年に関しては悔しさというよりもやりきった感が強かった。なぜだろう。 何から順番に今日の感想を書いていいのかなかなか頭がまとまらないので、とりあえず時系列に沿って振り返る。

昨日の天気予報では曇り後雨だったのに、朝起きてみると雨がぱらぱら降っていて、家を出る頃には本降りになった。 用意していた荷物に加えて雨対策にと、シャツやシューズを余分に持ってユニバーへ向かう。例年予選・決勝の兵庫選手権であるが、 今年は参加人数も増えて予選・準決勝・決勝の3本ある。予選のアップはなるべく省エネで。雨も降っていたので、 ハードルは跳ばずにドリルとダッシュ程度のアップを濡れないように行った。 冷静に考えて、普通に走れば予選で落ちることはまずないのにもかかわらず、アップを軽くすることに対しては不安がつきまとう。 結果的には、やはり流して走っても14"75(+1.2)で全体の1位通過。石橋をたたいて渡るとまでは言わないが、どうしても慎重に、確実にと思ってしまう。 予選を終えて、自分の待機場所に戻ろうとした時、陸上部の部員がスタート地点まで氷嚢を持ってきてくれた。 お願いしていたわけでもなかった。本当にうれしかった。準決勝に備えて、アイシングをして、その後長田高校の近所にある和辻接骨院の方にマッサージを受けた。 今年から、試合の時に競技場まで足を運んでくれて選手のケアをしてもらっている。 今日は先生もぜひとのことだったので、お言葉に甘えた。周りに支えてもらいながら準決勝までの時間を過ごし、迎えた準決勝。 スタートから2台目あたりの部分を予選より集中して走って、後半はリラックスして走った。14"51(+0.6)で2着、 その組のトップは14"50であったが、途中からは順位で通過できることを確信したので、そこで勝とうとは思っていない。 全体では3位通過。まだ余力はある。予選の後と同じような形で、さっきよりは少し軽めにケアを行って決勝のレースを迎えた。 その決勝。選手紹介の時、スタート地点後方からの長田の部員達の大きな声に力をもらう。右前方には昨年まで一緒にやっていた、伊川谷の部員達が集まっている。 小雨がぱらつく中いつもの場所に集まっている。その姿に力をもらう。この状況に胸が熱くなった。 氷を持ってきてくれる生徒達、競技場ですれ違うたびにがんばってくださいと声をかけてくれる長田と伊川谷の生徒達。 この場で走れる幸せを感じながら、長田の生徒がいる後ろの方と伊川谷の生徒がいる右前方に手を上げて、応援に応え健闘を誓った。そして、レースに集中した。 思い返せば、伊川谷に転勤してきた7年前にも同じようなことを感じていた。

ゴール付近に陣取り拍手を送ってくれている生徒たちに気がついた。10人ほどの集団だが、はっきりと分かった。「応援に後押しされる」とはこういうことかと実感できた。 (2007年の兵庫選手権のコメントより抜粋)
スタートで出遅れたように見えたそうであるが、自分の中では想定の範囲内、作戦通り通り後半追い上げ、10台目を超えた段階で一時トップに立った。 しかし、今日の競争相手であった山根選手と、小林選手とのスプリント力の差が10台目以降の走りに如実に表れた。 久々の1日3本ということもあり、10台目以降の走りが「スカスカ」だった。力が入っていないような感じになった。 結局1位と0"08秒差もの差がついての3位。真後ろから見ていた長田の生徒たちには一瞬勝ったかのようにも見えたそうだが、 走っている者にとって0"08秒の差は明らか過ぎるほど大きい。準決勝の0"01秒の差でも分かったのだから。ゴールした瞬間「負けた~」と分かった。 長田の生徒たち、伊川谷の生徒たち、和辻接骨院の方々、いっしょにやっている井上先生、試合に出ることに理解を示してくれている情報処理係(競技役員)の先生方。 今回改めて、いろんなひとの中で競技をしていることを実感して、その中で自分なりには今出せる力を出し切ってのレースができたので、 悔しさよりもやりきったという気持ちになれたのだと思う。そう言えば、有森裕子さんの著書「やめたくなったらこう考える」にこんな件があった。
「感謝の気持ち、楽しいから、参加することに意義がある…。そんなことを言いはじめると、そこから記録が伸びる人はあまりいません」。
分かる気もする。勝利に対するギラギラとした野心は絶対に必要だ。でもそれと感謝や楽しいを併せて持つことだってできるはず。そんなことを考えた。

これでシーズン前半は終了。今後は夏の鍛錬期を経て、秋は近畿選手権、全日本兼アジアマスターズ、全日本実業団を計画している。 試合が近づくとどうしても自分の練習と生徒たちの練習が違ったメニューになってしまうが、ここで一区切りして、 今後はできるだけ高校生に交じって土台づくりをしようかなと思っている。泥臭い練習がしたい。 ただ、秋の最初の試合である近畿選手権は、自分にとって一番難しい試合。 夏の疲れが抜け切れずグダグダになったことが何回かある。そこにある程度照準を合わせながら、しっかりと鍛えなおしたい。

2014/8/13 三校定期戦 (ユニバー)

2014/9/6 近畿選手権 (紀三井寺)

夏の疲れをできるだけ取り除いて、表彰台を目標に出場した今年の近畿選手権。 結果は3位に0"03秒届かず4位であった。「勝負強さ」って何なのか? 分かるようで分からないような気もするが、相変わらず勝負弱いレースが続いている。 アップをしてみて、主観的には80%から90%くらいの仕上がりで、調子はそんなに悪くない。が、絶好調という感じもなかった。 決勝のレースの(自分の中だけの勝手な)下馬評は、優勝した川村君(東海大仰星高)が頭一つリード、そのほかは横一線といった感じであったが、 実績のある三田選手が意地を見せて予選の混戦から抜け出し2位に入った。3位になった山中選手に対しては勝機は十分にあったのだが、 自分が8台目のハードルにあててしまったため、チャンスを逃してしまった。内容的には、調子が上がりきっていないということもあり、 ハードルに対して腰が入りきっていない感じがした。8台目のハードルにあてた時に、太腿をかする感じでひっかけたが、太腿ではなくお尻でかすらなければいけなかった。 そういうポジションに入るイメージを常に持って練習はしているが、そこに入っていけていないところからも、仕上がりきっていないと感じる。

次に、近畿選手権までの流れを振り返る。兵庫選手権後は、「質より量」の期間を設けて、できるだけ生徒達と一緒に走った。(150m+300m)*3やシャトルハードル(15分15本)*2 など自分だけではまずしないメニューにも取り組んだ。長田に練習に来ている中野選手(筑波大院)が走るメニューをする日があり、 「一緒に走りましょう」となったので一緒に走ったりもした。歳をとったら「量より質」とか、「技術で」とかよく言われる。 確かにそうだが、そんなまわりの言葉に甘えてしまってはダメだと私は考える。サッカーの三浦知良選手は著書「とまらない」の中で、

「無理だと周りが思うのは、そんな人が今までいなかったというだけだ」
と言っている。何歳だからこれくらい、と自分の中で消極的な考え方をしないようにしたい。その、「質より量」の期間の後は、 積極的に疲労回復を行いつつ、今度は練習の「質」を高めていった。大会の役員や、駅伝の試走などで、学校で練習できないことも多かったので、 部活動とは別に明石に1回、三木には2回行った。そうこうしているうちに、思惑通り、競技的な疲労が抜け、調子も徐々に上がってきた。 現在の状態はそんなところである。負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、ここで100%に仕上がってしまっているようでは、今後の大会で息切れしてしまうので、 今は80%から90%で丁度よいのだ。今仕上げ切れていなくてもよい理由は、今後の大会で結果を残すことを目標にシーズンを組み立てているからだ。 今後はアジア(兼全日本)マスターズ、全日本実業団と全国規模の大会が続く。 2週間後のマスターズ(岩手)は、普段より高さが低いジュニアハードルになる。13秒台で、M35クラスのアジア(=日本)記録14"10の更新、 ジュニアハードル兵庫記録14"00の更新を狙いたい。午前8時競技開始なので、アップに一工夫いるかもしれない。 朝早い時間にハードルを用意してくれていない可能性もあるし。逆にレースが早いおかげで、帰りの飛行機(花巻17時30分発)までたっぷり時間ができた。 3.11、津波が襲った太平洋を訪れてみようかなと思っている。 その3週間後には14年連続出場となる全日本実業団(山口)。 自分の場合、過去秋のシーズンにシーズンベストを出しているケースがほとんどなく、よって、 今まで通りやっていてはそこそこのタイムで終わってしまう可能性が高い。一工夫して、今季最後の大会となる全日本実業団で、会心のレースをしたい。 今回の悔しさをバネにして今後の大会を目指す。

追伸

近畿選手権男子やり投で、昨年伊川谷高校を卒業した大佐田選手(国際武道大)が66m39の自己記録で優勝した。 大分の全国IHではベスト記録よりも10m近く悪い記録で予選落ちし、その後の秋の大会でも思うように記録を出せなかったが、 大学に入って着実に記録を伸ばしている。刺激を受けずにはいられない。夏休みは、国際武道大の競技場が改修中のため、 実家に戻り伊川谷高校などで練習しているそうであるが、大会前にどうしても投げたかったので明石競技場を貸り切っての練習もしたとのこと。 1回200円の個人利用では投擲練習はできない。貸し切り利用は1時間3000円程度。そんな行動力が彼の成長の背景にはある。

2014/9/21 アジア(兼全日本)マスターズ (北上)

3月の世界マスターズインドア大会に続き、二度目の国際大会となるアジアマスターズ。目標はアジア(=日本)マスターズ記録である14"10の更新であったが、 絶好の追い風を生かせず100分の8秒そのタイムには届かなかったので、ゴール直後の満足感はあまりなかった。 思い返せば今年は世界マスターズの100分の1秒差の2位から始まり、 大阪選手権は100分の2秒で準決勝落ち、兵庫選手権は1位と100分の8秒差の3位、近畿選手権は3位と100分の3秒差の4位。 毎回毎回目標に届きそうで届いていない。目標は簡単過ぎてもダメだし難し過ぎてもダメだと生徒に話をすることがある。 確かに丁度いいラインに目標を設定してはいるが、そろそろ、よっしゃ~!と思えるレースがしたい。 ただし、今回については、タイムレース2組で行われて、1組で走った吉岡選手(アジア記録保持者)が14"25(+2.5)だったので、100分の7秒差で勝負には勝った。 大会新というおまけ付きでアジアで金メダルを獲得できた。そのことには満足できる。

さて、今大会を振り返ろう。岩手花巻空港には前日の5時前に到着。その後ホテルに向かい翌日のレースに備えるというのがいつものパターンなのだが、 昨日はホテルではなく競技場に向かった。なぜなら8時レース開始、7時半招集開始となっているにもかかわらず、 受付が朝の7時半からしか始まらないと書いてあったので、できることなら受付を済ませておきたいと考えたからだ(受付では、ナンバーガードやプログラム、記念品などを受けとる)。 受付終了は16時であることも知っていたので、 ダメでもともと、最低限受付場所と招集場所を確認できればと思った。 競技終了の15分前に競技場に到着したが、やはり受付場所は看板だけを残してきれいさっぱり片付けられていた。 なので、すぐに大会本部で事情を説明した。袋に手渡しするもの一式まとめた受付セットが会議室かどかこにまとめられていることは安易に予想できた。 話してみると、とても親切に対応してくれた。無事に受付が終了。ナンバーガードが手に入ったので安心してアップができる。 さらに、ハードルに出場する誰かから朝の6時からアップがしたいとの要望があったので、6時からメイン競技場にハードルを並べて練習できるようにするとの情報も得た。 これはラッキー。マスターズ陸上選手は意識が高い。翌朝6時競技場に着くと、すでに数人の選手がアップを始めていた。 この日の岩手の最低気温は10℃だったので、私は出発前に暖かいホテルの部屋でストレッチを済ませてきている。 余裕を持って自分もアップ始めた。 アップ中、他の人の様子をなんとなく観察していると、なるほどなと思えるアップをしている人がちらほら目につく。 長年の経験に新しい情報も取り入れながらアップをしていることが分かる。今日の最大の相手、吉岡選手の動きも少し気にしながらアップを進める。 かなり速そうに見えた。しかし、結果的にはかなり速そうに見えた選手に自分は勝った。そんなもんだ。サブトラックでは、みんな速そうに見えるのだ。 そんなことは分かっていたので、気にはしていたが特に意識しすぎることはなかった。 逆に、自分がハードルを跳んでいる場面を吉岡選手が見てしまうようにタイミングをはかって跳んだ。 今回は全く効かなかったかもしれないが、相手が高校生や大学生なら効くこともある。他人は速く見えるのだ。すると相手は焦る。 そんな感じでアップを終えた。前述の通り、タイムレース2組中、1組のトップのタイムは14"25だった。 それは自分が走る2組が始まる前に分かった。他の組のタイムを気にしてあまり良いことはないが、今日はこの記録を聞いて「よし」と思った。 ある程度勝ちを確信できたので、あれこれ考えず思い切り走れた。戦略的には概ね成功したと言える。 しかし内容には課題が残った。マスターズのレースでは、普段より一段ハードルの高さが低いジュニアハードルとなる。 でも単純に低いから跳びやすいとはならない。低いがゆえにハードルを跳ぶ距離が短くなり、結果インターバルが間延びする。 そこをうまく適応させなくてはならない。中学生ハードルにヒントがあるようにも感じている。 今後マスターズの大会に参加していく上で、クリアしなければならない最大の課題のひとつだ。

競技開始が8時からと早かったおかげで、表彰を済ませてもまだ9時過ぎ。 普段だったらさっさと帰路につくところだが、経費削減のために早割で取った飛行機は便の変更がきかないので、 17時半の飛行機まではたっぷり時間があった。中尊寺→奇跡の一本松→宮沢賢二を駆け足で回った。 めったに来れない東北・岩手をちょっとだけだが味わうことができた。 陸前高田の復興に向かう様子は、特に印象に残った。 こんな感じのアジアマスターズ岩手大会だったが、今回出場してみて、来年8月に行われる世界マスターズ(フランス・リヨン)への関心がぐんと膨らんだ。 具体的に考え始めようかな。既にエントリーは始まっているようだ。さて、今季は3週間後に全日本実業団を残すのみとなった。 目標は決勝進出(おそらく14秒1前後が進出ライン/難易度:難)、一歩譲ってシーズンベスト(14秒37/難易度:やや難)の更新。 今季最初で最後のよっしゃ~!レースにできるかどうか。試行錯誤のチャレンジは続く。

2014/10/12 全日本実業団 (維新百年)

アジアマスターズが終わった次の練習では身体がものすごく軽く「絶好調」という感じがあった。 そのままの流れで全日本実業団を迎えれば結果はついてくるのではと思っていた。にもかかわらず、今回の結果はまったくもって満足のいかないものであった。 試合前に慎重になりすぎ練習量を落としすぎたか? サブトラックでのアップの時からからそんなに状態が良いと感じることはなく、レースでも良い感触はなく、 練習でできたと思ったことがまったく再現できなかった。向かい風が強かったとはいえ情けない。 レースが終わってからは、考えれば考えるほど、ハードルを跳びたい気持ちがわいてきて、やりたいことが浮かんできた。 満足のいく走りができなかったことに対して悔しさを感じて、そしてそれが次へのモチベーションとなる。 これがなくなったら終わりだなと、悔しさを感じていることに対しては妙に納得しつつ、山口から帰ってきた。

実は現在、妻が妊娠10ヶ月で、いつ出産を迎えてもおかしくない状況の中、今回は山口までやってきた。 深夜に「陣痛がきました」っていうメールが来たら、とんで帰ろうとは思っていたが、そんな中で、山口まで来て走れている状況がありがたいのであるが、 場合によっては出場を見合わせる可能性もあったので、念のため2週間後の香川カーニバルにエントリーしておいた。 念のために。全日本実業団で納得のいくレースができれば今季は終了。そのはずだったのだが…。 念のために申し込んだはずだった香川カーニバルだったのだが、今回の結果が出る前に気持ちは揺らいでいた。 申込メールに対する返信にこんなことが書かれていたからだ。

「お久しぶりでございます。お元気でしょうか。香川カーニバルの申込ファイル受領いたしました。ご来県を楽しみにしております。」
今度出場すれば10回目の香川カーニバル出場となる。香川陸上競技協会の受付担当の人にも名前を覚えてもらっていたらしい。 本来、事務的に行われる申込手続きにも関わらず、このようなメールの返信をいただいていた。この時から気持ちは揺らいでいた。 そして今日の結果である。出るしかない。後2週間、1日1日ベストを尽すしかない。

2014/10/25 香川カーニバル (丸亀)

今季最後の試合、香川カーニバル。当初出場予定はなかったが、全日本実業団が妻の出産と重なった時の保険として、念のために申し込みをしておいた。 幸い、それらが重なる事はなく、全日本実業団には出場できた。しかし、そこでの走りに全く満足できなかったので、香川カーニバルまでやろうと決めた。 全日本実業団後の練習では、調子が良いと感じる事があまりなく、自分の中でも結果は期待できないと感じ始めていたが、一度決めたことを止めるということには強い抵抗があった。 やっぱりや~めたは自分には合わない。できるだけのことをやりきらないと気がすまない。 そうこうしているうちに、月曜日の朝5時、無事に娘が産まれた。2度目の立ち会い出産であったが、今回は産まれた瞬間、こらえきれず涙が溢れ出した。 感動して言葉が詰まるようなことは時々あったけど、涙が出てきたのは何年振りか自分でも分からないくらい久しぶりのことだった。 その後妻は入院、私は妻の両親の助けを受けながら3才の息子と2人での生活。それはなかなか面白いものだったが、そんなことで、 今週は24時間の中で、家族のことを考えている割合が大部分を占めていた。もちろん仕事もきちんとした。練習もきちんとした。 だけど頭の中は、今季最後の試合を迎えるという状況でありながら、陸上のことではなく家族の事が大部分を占めていた。 それでも、やっぱりやると決めたらやめられない。金曜日に退院した妻と子供たちには妻の実家で1日過ごしてもらうことにして、 私は丸亀にやって来た。この日は役所に出生届を提出するなどの用もあったが、時間を作って前日練習を実施した。 やるときはやる、頭の中を陸上モードに完全に切り替えて、ハードル練習。よし、まずまず動いている。 ここに来て久しぶりに納得のいく練習ができた。明日は満足のいく走りがしたい。10回目の香川カーニバル、 14回目となる大好きな丸亀でのレース。頭の中がようやく陸上モードになってきた。

~ここまで前日に記述~

結果は予選、決勝ともに絶好の追い風が吹く中での14"5台。走る前から自分の今のコンディションは大体分かる。 昨日の段階で、納得のいく練習ができたとはいえ、14"55±0"2秒が自分としての冷静な予想であったので、 ほぼその通りの結果になった。シーズンベスト更新に僅かな望みをかけていたが叶わなかった。しかし、レース内容はそれほど悪くなく、 スピードに乗りきれていない分、少しハードルに入っていけなかったけど、ほぼ思い通りにまとめることができた。 全日本実業団が14"7台でグダクダだったのに対して、風の影響はあるものの今回は14"5台で気持ちよく走れた。 シーズン最後までやるだけのことはやった。納得して今シーズンを締めくくることができた。丸亀までやってきて走ってよかった。 これからしばらくは心身共にリフレッシュさせて、それから冬季練習に入る。冬季練習の内容はの詳細はこれから考えていくが、今考えていることは、 ざっと「走って鍛える」「体幹を鍛える」「ウエイトの重量は求めない」「初動負荷トレーニングの頻度を増やす」くらいか。 長田に来て初めての冬季練習になるので、生徒たちと一緒に走る機会を増やしたいとは思う。 「歳をとったらこれくらい」と決めつけないで走り込みたい。 シーズン中の試合の組み立てを考えるのは、実際には来年の競技日程が発表されてからしかできないが、 だいたいの流れは毎年同じなので大まかな計画は立てておいて、それに合わせてトレーニングを組み立てる。 来年の一番のポイントは、110mHが8月14日、15日に行われる予定の世界マスターズ(フランス・リヨン)だ。 8月というのが微妙な時期で、これにピークを持ってくるとなると、春の後半6月下旬から7月中旬と、 秋の前半9月の大会への調整が難しくなる。そのあたりをどう調整していくか。今後じっくり考える。 だがしかし、今の段階で素直な気持ちとして思うことは、マスターズ世界一への挑戦か、13秒台への挑戦か、どっちが本気でしたいかというと、 13秒台への挑戦であるということだ。来年ならマスターズ世界一になれる可能性は十分ある。このチャンスを逃す手はない。 だけど、マスターズへの挑戦は今後何回でもできる。一方で13秒台への挑戦はどうだ。年々可能性が低くなるのは間違いない。 まだ自分の中で少しでもやれるかもしれないと思える以上、13秒台への挑戦は諦めたくない。 そうなると、6月下旬の大阪選手権などが一番記録を狙うには都合がいい大会になるわけだが、それに合わせると8月までピークが持たない可能性が高い。 難しそうではあるが、試合計画を工夫してマスターズ世界一、13秒台への挑戦、どちらに対する挑戦にも、自分の中で後悔が残らないような計画を立てたい。

追伸

いつもなら帰宅して、その日のうちに試合の結果や感想をまとめてしまうところだが、 さすがに今日ばかりはそういう訳にはいかなかった。隙間時間を利用して、スマホに入力したりしながら文章を作成し、 現在試合翌日日曜日夜、子どもを寝かせ終えて、パソコンに向かう時間が取れた。 あたりまえだけど、自分の陸上競技は生活のほんの一部だ。家庭があり、仕事があり、部活があり、友達や親戚や仕事上などの付き合いもあり、 いろんな事がある中に、自分の陸上競技もある。 そういったその他の部分でうまくいっていることは、陸上で満足いく結果を出すための、必要条件であると思う。

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