2015 (H27/社15/36歳)

2015/3/22 兵庫実業団記録会 (尼崎)

昨年までとは環境の違う中での冬季練習を終えて初めての記録会。 3月になってからスピードを上げることを意識し始めてはいるもののまだまだ上がりきっていない段階で、 記録的には「例年通り」の仕上がり。昨年は3月末の世界マスターズインドアに照準を合わせていた中で14"97(-1.3)であった。 引き続きスピードを上げていくことを意識しながらも、しばらくはしっかり走り込むなど練習のボリュームも保ちたい。 春の前半は春季記録会、郡市区で仕上げていきながら、5月24日の関西実業団(長居)をメインに見据える。 その後は、8月15日の世界マスターズ(リヨン)にピークを合わせるために少しトレーニングを積む期間を設けて、例年出場している大阪選手権には出場せず、 7月12日兵庫選手権、8月15日世界マスターズを勝負の試合と位置付ける。秋には、近畿選手権(鴻池)、全日本実業団(長良川)、近畿マスターズ(ユニバー)などを予定しているが、 そのあたりの大会は、そのときの状況を見て練習の流れ組み立てようかなと思う。 とりあえず、次は4月4日神戸市記録会の200m。どれくらい走れるか、コントロールテスト的な意味合いも持たせた実践練習となる。

2015/4/4 神戸市記録会 (ユニバー)

2010年から毎年第1回神戸市記録会の200mには練習の一環として出場している。過去のタイムと比較することはナンセンスかもしれない。 早く仕上げたシーズンもあれば、ゆっくり仕上げたシーズンもある。ガンガン練習を積んでいる中出場したシーズンもあれば、直前は練習量を減らして出場したシーズンもある。 当日の天候も違う。ひとつの指標にはなるが、条件が異なるので単純に比較はできない。そのことを踏まえた上で、やっぱり気になので、 google検索で見つけた関東高校陸上競技の無風換算プログラムを用いて無風換算したタイムを求めて比較してみた。

記録無風換算
201022"54+1.722"93
201122"58+2.423"07
201222"97-1.122"60
201322"55+0.022"55
201423"14-0.223"07
201523"03-0.622"84
第1回神戸市記録会200m記録

結果は、思っていた通り例年通り。ちなみに2010年に自己記録の14"05を記録している。36歳で迎えるシーズン。 いままで通り練習はしっかりとこなしているものの、年齢による体力の低下があるのではと気になることもあるが、 自分に有利なデータを持ってきて、「そんなことはない」と自分を言い聞かせる。 今日は、後半は結構走れたように感じた。反対に、スタートからの加速が悪い、コーナーの出口付近の接地でブレーキの要素が大きい、 という2点がマイナス要因として感じられた。それを今後の練習の中で生かしていくことが大切である。

2015/4/18 春季記録会 (ユニバー)

毎年4月は仕事が忙しく、今週は放課後の会議も多かったので、練習量を落としてこの試合に臨んだ。 結果は、前日に学校行事の登山があり、その影響があったのかもしれないが、自分としてはまさかの15秒台。 結果を気にする時期ではないものの、ガッカリ。とにかく課題は1台目に入るまでのスピードをいかに上げるかということ。 現在も試行錯誤しているスタートダッシュを、とにかく何とかしなければ。20日(月)は創立記念日の代休で、部活も休みなので、 明石の競技場へ行って練習することにした。動きの撮影もしながら、スタートから1台目までの現状を理解し、なんとかして改善策を見いだしたい [明石練習] 。 練習の一環の記録会とはいえ、負けるのは悔しい。次回郡市区対抗ではもうちょっとしっかりとしたレースがしたい。 郡市区までは2週間、その3週間後に今年最初の目標試合、関西実業団(長居)がある。

2015/5/3 郡市区対抗 (ユニバー)

春季記録会から2週間、1週間は強めの練習、1週間は軽めの練習を実施して試合を重ねるごとに調子を上げられるようトレーニングを消化してきた。 前回の結果が予想以上に悪く、すこし弱気になっていたが、 決勝では3位に甘んじたものの、やや強い向かい風の中で14"6台で走ることができ、 久しぶりに手ごたえを感じることのできるレースができた。特に中盤から後半の走りは、今の段階としては自分の中で合格点だ。 ただ、会う人会う人、みんなに「スタートで出遅れたなぁ」と言われた。誰の目から見ても明らかなほどスタートで出遅れる。 出遅れるのも問題ではあるが、それ以上に1台目の時点での速度が低いことが問題だ。あそこでもっとスピードが出ていたら、 それ以降今と同じように走っても全体で考えると全然タイムが違ってくる。「8歩でどう加速するか?」これが今の自分にとって最大の課題。 そんなことは自分でもわかっている。

予選のタイムは、全体で3番目のタイムで、明らかに学生が元気だと分かっていた。 予選からはしっかりと気持ち切り替え、完全に集中した状態で決勝のレースを迎える必要がある。そんなことを考えているうちに、過去のあるレースを思い出した。 2010年の近畿選手権。この大会では、予選を8番目のタイムで通過、しかし決勝では会心のレースができて逆転優勝。気持ちを切り替えればうまくいくこともある。 それを痛感した試合であった。その時自分はどんなことを書いているのだろうと気になったので、このホームページにアクセスし、少し探して見つけ読んだ。 しかし、その日のあらすじは分かったが、大したことは書いていなかった。ページをスクロールさせる。 あっ、この年は6月の日本選手権で自己記録を出した年だったんだ。もう少しスクロールしてみる。そこまで来ると記憶はつながっていたが、その年の関西実業団(丸亀)では 14"14の自己記録(当時)を記録している。ここにいいことが書いてあった。 「スタートから第1ハードルまでを細かく分けると、ブロックを蹴りだす感覚と最初の4歩が少ししっくりきていない。 しかし、位置についてからあれこれ考えるのが一番よくないことなので、割り切って「ピストルの音に集中するのみ」と決めレースに臨んだ。」 スタートを気にしすぎるばかり、考えすぎている。ピストルなしのスタート練習の時、「set」からの時間が異常に長すぎたりすることが間々ある。 「ピストルの音に集中する」そう言えば昨日も生徒に言ったじゃないか。自分ができてない。 決勝までのアップでは、中学生なんかが良くしているピストルの音に合わせてするスタート練習を10回はやった。 みんなに「スタートが遅かった」と言われたが、自分の中では少しはましにしたつもりだった。でも実際まだまだ遅い。なんとかしたい。いやなんとかせねば。 もう少しページをスクロールさせるとその年の郡市区の結果を発見した。決勝14"56(-1.1)大会新。向かい風で14”5台で走ってたんやなぁ…と、 その時点ではまだすこし弱気な自分がいたのでそんな風に思ってしまったが、今日の決勝は14"62(-1.6)。ほとんど変わりないじゃないか。 2010年はこの流れで自己新を出しているんだ。自信を持って前向きに。これも生徒にしょっちゅう言っている。次は春のシーズン最大目標としている関西実業団(長居)。 本気で自己記録に挑戦するぞと思える状態に仕上げて、大阪に向かいたい。

2015/5/24 関西実業団 (長居)

高速トラックの長居で開催されるこの関西実業団を、記録を狙う大会と位置付けて、春季記録会、郡市区と大会を重ねながらここで記録を狙うべく調整をしてきた。 結果14"36。ここ数年14"3の壁が相当厚い。予選が14"40、決勝が14"36。今日現在の力を発揮できたとは思うが、結果に対して納得はできるけど満足は出来ない。 ただ、久しぶりに13秒台の選手がそろった緊張感のある中でのレースができ、それを楽しむことができたような気はする。 そのレースを通じて、スタートが課題であるとアプローチの練習に重きを置いて練習してきているが、それも継続させながら、久しぶりに加速からのリズムドリルでタッチダウン1"0台で走るような練習をしてみることも必要かなと感じた。 13秒台の選手と一緒に走ると、中盤から後半での走りにも差を改めて感じた。もっと水平方向に跳べそうだ。 今回の試合に向けての調整は、8月の世界マスターズまでの調整のシュミレーションも兼ねていた。春季記録会から郡市区まで2週間、そこから今日の関西実業団まで3週間。 7月第2週の兵庫選手権(ユニバー)から2週間後に中国マスターズ(出雲)。マスターズ陸上の規格である一段低いジュニアハードルの練習の意味も持たせて。 その3週間後に世界マスターズ(リヨン)がある。今回の流れをベースにして、その時の他の予定やコンディションも加味しながら、スケジュールを組み立てる。 最後に、この試合は今年初めての泊を伴う遠征であったが、いくつになっても前日にドキドキして、いろいろ考えて、試合に出場するということ自体が面白いなということを実感した。 それだけではなく結果にも満足できるレースがしたい。がんばろう。

2015/6/27 尼崎ナイター (尼崎)

関西実業団に今季ひとつ目のピークを持ってきたので、その後はその調子の中で比較的質の高さを保ったまま、ボリュームのある練習メニューを3週間半こなしてきた。 練習量を確保している割にタイムもそこそこ出ていて、いい感じだなと手ごたえを感じることができる期間となった。 その後の、近畿インターハイ以降はそれまでの疲労を抜く期間と位置付けて練習量を落とし、そして今日の記録会を迎えた。 競技的な疲労は抜けていたかもしれないが、3泊4日の近畿総体明けの今週は仕事面で何かと忙しく、生活的な疲労がかなりたまった状態であった。 試合前から「走ることに意義がある」と開き直った気持ちもあったので、結果はお粗末なものとなってしまったが、 走る前に思っていた通り、この体調の中、記録会のレースを2本走ったことに、自分としては意義を感じている。 兵庫選手権の2週間前であるこの日に試合で走ることは、経験上、必ず活きてくる。 毎度のことながら、どちらのレースでもスタートで出遅れた。遅れてしまうので、どうしても「力」で速く進もうと思ってしまいがちだが、 「力」を発揮しやすい「ポジション」を探ることに重点を置きたい。スタートの「set」の合図で腰を上げた時に、「いつでも走りだせますよ」というポジションを探る。 前々から分かってはいることだが、「set」の時に安定しすぎている。ピストルが鳴って改めて「動き出そう」としなくてはいけないような状態なので、その点を少しでも改善したい。

「加速が鈍い」。この点に関して年齢に伴う衰え(変化)なのかなぁ、と思ってしまうこともある。今まではあまり意識してこなかったことであるが。 どんな年代であろうと人間は少しずつ変化している。身体的なことはもちろん、性格というか人柄というか心の部分もそうだろうし、生活習慣や周りの環境もずっと同じではない。 例えばこのページの更新をすることに関しても、数年前まではほぼ(95%以上は)試合のその日のうちにどんなに遅くなってもその日のことはその日のうちに振り返ってまとめていたが、 今年になって、翌日以降になることが増えている。別に意欲が低下したわけではないと思うのだが。いろんなことが少しずつ変わっている。 その変化に応じることが大切。なんでもかんでも今まで通りやっているのが正解ではない。今の自分の身体状況に応じた練習方法や技術を模索する。 今の自分の生活スタイルに合った競技への向き合い方を実践する。それが大切。そのことに関して、大好きな野球選手の一人である松井秀喜選手の著書「信念を貫く」にこんな一節があった。 「微調整が、すなわち進化であるかどうか分かりません。退化につながるかもしれない。でもそれも遠回りだと思っていません。貪欲に微調整を続けていくことが、結果的に進化につながっていくのです」。 貪欲に微調整を続けていこうと思う。

次は2週間後の兵庫選手権。今年についてはその5週間後の世界マスターズを見据えて仕上げていく途中の段階で兵庫選手権を迎えることになるが、 両立できるよようにトレーニングプランを組んでいるつもりなので、もちろん優勝を狙いに行く。 今年勝てればV10。申し込みランキングは6位と今年も厳しい状況だが、経験と意地で10回目の選手権を獲得したい。 最後に、実は昨年も関西実業団後のトレーニング期間後に神戸市記録会で100mに出場している。 記録は11"45(+1.2)。今日の記録は11"64(-1.7)。それぞれ4月の記録会の欄で紹介した関東高校陸上競技部の無風換算プログラムを再び用いて無風換算したタイムを求めて比較してみた。 結果去年11"53、今年11"49。今年の方が走れているぞ!

2015/7/11 兵庫選手権 (ユニバー)

いつもの年ならシーズン前半の締めくくりの最重要試合と位置づけて調整をしている兵庫選手権であるが、今年についてはいつもと少し違っていた。 前述の通り8月の世界マスターズに調子のピークを持っていくために、6月下旬にコンディションが上がらないようにトレーニングを組んできたので、 「やるからには」と優勝を狙って、できるだけの事はやったものの、体調の仕上がり具合は8割から9割程度といった感じであった。 決勝では3着と0"3秒以上の差をつけられて4位。2000年から2014年まで15年間続いていた連続表彰台記録も途絶えてしまった。 身体の仕上がりと気持ちの仕上がりには正の相関関係があるようで、体調の仕上がりが8割なら気持ちの仕上がりも8割くらいだったかもしれない。 「やるだけのことは」と思っていながら、絶対に勝つという強い気持ちでもなかったような気がする。 今日の状態で向かい風の中14"7台ならこんなもんだろうと納得する自分がいた。昨年はかなりいい状態で臨んで決勝14"73(-2.3)の3位であった。 今日の出来で昨年同様強めの向かい風の中、ほぼ同じくらいの記録を出せているのでむしろ良しとしたい。

今回、大げさな言い方をすると「我慢」をして、兵庫選手権を犠牲にして調子を上げきらなかった。 それは例年なら調子を落とす7月下旬から8月にかけて調子を上げていくためには必要な手段であると確信している。 経験上今後必ず調子は上向く。2週間後には世界マスターズのシュミレーションとして中国マスターズ(出雲)に出場し、 マスターズ規格である普段より1段低いジュニアハードルの試合に出場する。世界マスターズへのステップとの位置づけではあるが、 できればそこで昨年のアジアマスターズで出しそびれた、アジアマスターズ記録14"10、さらにはジュニアハードルの兵庫記録14"00の更新をと目論んでいる。 そしてその3週間後が今年の最大目標である世界マスターズ(リヨン)。エントリーリストも既に発表されており、競技日程も今週になってようやく発表された。 予選8月14日8:30、決勝8月15日14:30(いずれも現地時間)。それまでの練習計画と旅行の行動計画などはほぼ出来上がっているので、 一日一日予定された事を実践して行くのみだ。気持ちがうわつかないよう、一日一日きちんきちんと練習すること。

あまり先の事を考えすぎるのは、あまり良くないが、大会申込みの関係上少しは考えなくてはならない。 世界マスターズに後はそのまま調子を維持して8月下旬の近畿選手権(奈良)を予定。これについては兵庫選手権開催中に申し込まなくてはならず、本日手続きを済ませた。 その後は9月下旬の全日本実業団。連続出場にこだわっている大会。全日本実業団が終わった段階で満足のいくシーズンになっていればここで終わってもいいかなと考えている。 是非そうなっていてほしい。いやいや、そうなるようにがんばらなくては。 本日惨敗の兵庫選手権については、是非10回優勝を達成したいので、来年は最重要試合と位置づけて「ガチ」で臨もうと、今からすでに思っている。

2015/7/25 中国マスターズ (出雲)

世界マスターズの3週間前ということで、はるばる島根県まで行って出場した中国マスターズであったが、1台目のハードルにリード脚を強くぶつけてしまいそのまま転倒。 途中棄権という情けないレースとなった。右脚、右肘、右肩をすりむいただけではなく、左脚をスパイクしてしまい、島根県立中央病院まで行き縫ってもらうはめに。 病院の先生には「3週間後に試合があるのでそのときにベストな状態にしたい」と申し出たところ「傷がふさがるまでは縫ったら1週間、縫わなかったら3週間」と言われたのでじゃあということで縫ってもらった。 病院の診察室でうつぶせになって縫ってもらっている間、「なんでこんなことがおこるんだ?!」と考えれば考えるほど情けないというかなんともいえない気持ちが沸いてきたが、 お灸を据えられているような感覚になり、自分の取り組み方、考え方、いろんなところに甘さがあったのではないかと反省する機会となった。

まず、この試合までの流れについて、経験上こんな感じでやっていけば間違いないというメニューを組んでやってきたが、 変な言い方になるがその流れに乗りすぎているような感じがした。何度も何度も同じようなことをやってきているので、それほど考えなくてもそのメニューを消化できる。 「慣れ」というかそんな感じの部分があったような気がする。同じメニューではあるが常にフレッシュな気持ちで丁寧にやっていかなければならない。 「惰性の練習にならぬよう、気を引き締めろ!」それが今日の一つ目の教訓。 次に、当日の流れについて、梅雨も完全に明けて真夏の時期の試合は、今までにあまり経験がない。 いつも通り1次アップ、2次アップとやって、やり過ぎている感じはなかったのだが、そこまでする必要もなかったのかもしれないように感じる。 真夏のアップについて、もう一度考え直したい。リヨンの夏の暑さがどれくらいかは分からない。 ウォーミングアップエリアの事情もアスリートマニュアルを読むだけではいまいち感じがつかめないので、予選前日の下見で場所等を確認し、真夏仕様のウォーミングアップを組み立てる。 「やり過ぎ注意、真夏仕様のアップの組み立てを!」それが今日の二つ目の教訓。 最後にレースに臨む気持ちについて、今回は単なる調整試合で気負う必要なんて全くないのに、スタート前なんとなくそわそわして落ち着いていなかった。 無理矢理気合いを入れてテンションを上げようとしていた。いつもより低いジュニアハードルなので思い切って突っ込もうとは思っていたが、 そんなことと転倒とはあまり関係がないような気がしている。とにかく気持ちの面で落ち着きがなかった。今持っている自分の力以上の事はできない、できることを完璧にすればいい。 この日もスタートからの加速が思い通りにできておらず、自分の中での良いときのイメージとのずれがあって、焦って無理をした気がする。 第1ハードルまでの1歩1歩を今の自分にとっての最高の状態に調整していくこと。そしてレースではあれやこれや考えずにピストルの合図に集中すること。 「心を無にして、自分の走りをするのみ。そうすれば結果は出る!」それが今日の三つ目の教訓。

出雲まで行って何やってるんだと、本当にへこんだが、これがリヨンでなくて良かった。 陸上の神様が活を入れてくれたんだ。気持ちを引き締め直さなければ。以前も何度かしたことがあるが、いつもの練習日誌に加えて、リヨンの決勝まで陸上日記をつけることにした。 その日の練習などを振り返り、やったことを確認して自信とするとともに、気分を盛り上げていく。 けがの具合が気になるが、翌日は完全休養、翌々日はけがの部分をややかばいながらも200m3本を走ることができた。 ペースを少し落としてその分インターバルも短くした。下腿に力を入れたくないので、より中枢部分に意識した走りが出来ていつも以上に尻からハムストリングスを使えたような感じがあった。 トレーニングに影響を及ぼしそうだが、何もなければ今まで通りだった流れが、このけがによって新しい創意工夫が生まれ、今の自分に必要なものに取り組めるかもしれない。 ピンチはチャンス。プラス思考でできることをやっていくしかない。今のところ抜糸は今週金曜日の予定。もともとなければ良いことだが、 この怪我だって、治っていく過程が自信につながるはずだ。逆境を力に。

「夢を追え」なんて軽い気持ちで言ってんじゃないよ!と、自分に言い聞かせたい。自信を持って本気で100%で夢を追っているんだと、胸を張って言えるような取り組みを。 一日一日をベストな一日にして、自分の中で100%納得できる状態に仕上げて、8月15日リヨンで勝負したい。いや、勝負なんて気負わないで、自分のパフォーマンスを発揮したい。 無心で110mを走って跳ぶ。そして夢を叶えよう。

2015/8/15,16 世界マスターズ (リヨン)

35歳以上で出場できるWMAの大会、出場資格を得て初めて迎えた2014年3月のハンガリー、ブダペストの室内大会では、 1000分の3秒差で優勝を逃し、次こそはという意気込みを持って今大会に出場することを決めた。 何回でも出場できれば良いが、お金の関係、仕事との兼ね合い、家族のことなど、気軽に毎回毎回出場できるものでもないので、 今回で一区切りつけようとの思いを持って今大会に申込み、準備を進めてきた。

出発まで

競技面では、まず、試合を迎えるまでのピーキングの方法を4月、5月に試行してみた。 春季記録会、2週間後に郡市区、その3週間後に関西実業団という5週間で調子のピークを作る流れである。試行がうまくいったので、今回も兵庫選手権から始めて、 2週間後に中国マスターズ、その3週間後に世界マスターズを迎えるという形をとった。ただし、時期や体調や仕事のスケジュール等が全く同じという訳ではないので、 様子を見ながら微調整は常に行った。5週間の流れの中の最初の試合である兵庫選手権は、本来なら調子のピークをもってきて勝負したい大会であるが、 ここでピークを作ってしまうと世界マスターズまではもたないので、あえてピークを避けて、ある意味我慢して出場した。 次の中国マスターズは、マスターズの規格でもあるジュニアハードルでの練習も兼ねての出場であったが、思わぬアクシデント[2015中国マスターズ]。 気負いすぎてか、第1ハードルに思いっきりぶつけてしまい転倒。その際スパイクしてしまった傷を島根県立病院で縫ってもらうという事態を招いてしまった。 これは想定外の出来事だったが、傷口に突っ張るような違和感と、初期の頃は少しの痛みもあったが、なんとか受傷2日後からは練習ができた。

この頃は試合までに怪我が治るかどうかが1番の気がかりだった。怪我が治ろうが治らまいが、速く走れればそれでいいのにである。怪我は必要以上に気にしても治るものでもない。 そんなアクシデントがあったものの、病院の先生がおっしゃったとおり、3週間で傷はほぼ完治、予定通りのスケジュールをこなして、本大会に臨むことになった。 体調は非常に良い。あとは「自分の走りをするだけ」、中国マスターズでの失敗があっただけにそのことを一番大切しようと考えた。 出発に向けて準備には余念がない。適当なガイドブックがなかったので自作したしおりは40ページに及んだ。行程表から移動手段、観光情報まで綿密に調べた。 試合が近づいてくると天気予報を何度もチェック。どうやら雨が降るかもしれない。気温も15度から20度くらいのようだ。スパイクは3足、アップシューズは2足、 ウェアも少し多めにスーツケースに詰め込んで雨対策、気温対策も万全、準備を入念にすることで安心感を得ていた。 今回も航空券とホテルの手配はお世話になっているJTBの方に手配してもらい、アムステルダム経由でリヨンへ向かう。 アムステルダムでの乗り継ぎ時間が1時間とやや短いことが気がかりではあった。

いざリヨンへ

予定通り関西国際空港を出発、関空からアムステルダムまでは13時間のフライトである。機内ではリラックスを心がける。 まず、数日前ひょんな事から買うことになったルービックキューブに取り組んだ。完成したもの面の動きが十分には理解できていない。 本質をつかむのには少し時間がかかりそうだなと思った。続いて機内で配信されている日本の映画を2本見た。 「僕達がいた」、「繕い裁つ人」。映画の世界に浸っていきながら、陸上のことも思い出された。 伊川谷から長田に転勤するタイミングで出場したハンガリーの世界マスターズ室内大会。結果は僅差の2位。 「夢を追え」との思いで母校長田高校に赴任。あれから1年半がたった。再び世界一を目指してはるばるリヨンに向かっている。気持ちが盛り上がってきた。

定刻通りに経由地のアムステルダムに着陸した。しかし到着予定ゲートにまだ他の飛行機が停まっているとの事で、15分程度機内で待たされることとなった。 よって次の便までは約45分。急がなくては。ヨーロッパのハブ空港、アムステルダム空港はとにかく広い。 到着ゲートから出発ゲートまで1km程であろうか、小走りと早歩きで向かいギリギリのところで自分は到着した。 ただ、少し荷物が心配だった。そこからの飛行機は約1時間半。あっというまにリヨンに到着し、不安な気持ちを抱きつつターンテーブルで自分の荷物が出てくるのを待った。 が、悪い予感は的中、荷物は出てこなかった。ハンガリーの時に続いてトラブル発生である。 またしてもフランス(前回はパリの空港だった)でインフォメーションに向かうことになった。 そしてここでも黒人女性スタッフが待ち受けていた。片言の英語で状況を伝えると、電話番号、自宅住所、ホテルの住所を書かされた。 彼女は、遅くても今日の10時にはホテルに荷物を届けると言っていたように思う。その言葉を信じよう。 ただ、そこでもらった紙に「3日後に届かないときは連絡下さい」とも英語で書いてある。これも気になる。 こんな事は度々起こると聞いていたので、スパイクとユニフォームだけは手荷物の中に入れてあった。万が一の事があっても試合には出られるのだが、 荷物のことが気になって仕方がない。でも今はホテルに行くしかない。世界マスターズのためにディスプレイされたリヨン空港をもやもやした気持ちで後にして、 空港と市内を結ぶローヌエクスプレスと地下鉄を乗り継いでホテルに到着した。

フロントに、荷物が今夜届くので届いたら部屋に電話してほしいと伝えて、部屋で休んだ。 その夜はうとうとしながら電話が鳴るのを待ったが部屋の電話が鳴ることはなく、落ち着かず不安な一夜を過ごした。 十分に眠ることはできなかった。荷物が届かなくても不便ではあるが走れるのに荷物のことばかり気にしていた。 眠れない夜が明け、疲れが残る状態で昨日と同じ服のまま朝食会場へと向かった。その前に一応フロントへ。 「ボンジュール」と声をかけ、荷物は届いたかと尋ねると…あった。荷物はそこにあった。確かに昨夜届いていた。 もやもやした気持ちが一気に晴れやかになった。よかった~。これで一安心、ゆっくりと朝食をとった。これで予定通りスケジュールを進められそうだ。

前日練習

予選の前日、この日は競技場までの行き方の確認、TICで受付、軽めの調整練習が午前中の予定。地下鉄を一度乗り換え、バスに乗って競技場までは約40分。 あちらこちらにマスターズ会場の案内が書いてあり、バスにも難なく乗車できた。これで競技場までのアクセスはばっちり。 この日は競技が休みの日でTICは10時オープンとなっていたので、到着してまずウォームアップエリアに行った。 そこでは日本人らしき人が一人練習をしていた。 話しかけてみるとやはり日本人で寺田さんという方だった。 ただしフランス在住なのでフランスチームから出場しているとのこと。寺田さんは日本から来ている平岡さんと行動を共にしており、 ここで知り合ったこの2人にはとてもお世話になることになった。会って間もなくであったにも係わらず、決勝の日の夕食の約束までしていただいた。 一人で行動している自分にとっては本当にありがたい存在となった。

ウォームアップエリアは人工芝のフットサルコートであった。 これほどの規模の大会であれば日本ではあり得ない。 フットサルコートにはハードルとスタブロは無造作に置かれていたので、 人生で初めて人工芝の上でスパイクを履いてスタートダッシュからハードルを跳んでみた。意外に違和感なく練習できた。 これなら明日のアップもここで十分できるなと確認できた。しかも身体は非常に軽い。気分を良くしてTICへと向かった。 受付を済ませナンバーカードを受け取り準備OK。メインの競技場の様子のチェックも済ませて今日の陸上関係の予定は無事終了。 ただ、スタンドに気になる紙が貼ってあった。競技開始の45分前にコールルームに来ればメイン競技場のバックストレートでハードル練習ができると書いてあるようだった。 よし、明日は競技開始の45分前にコールルームへ行こう。

その後は部屋に戻り、午後は疲れない程度にリヨン市内を観光。やっぱりヨーロッパの町並みは美しい。 短時間ではあったがリヨンの魅力を存分に味わった。 明日は8時30分から予選。楽に通過できるはずだが、雨で20度という天気予報が気になる。 どういう形でアップをすすめようか、服装はどうしようかとまたしても直接関係のないところに気をとられている自分がいた。 雨が降ろうが少々寒かろうが、やるっきゃない。「自分の力を出し切る」それしかないのだ。

予選

夜、結構雨が降ったようだったが今はやんでいる。4時30分に起床し部屋で食事、地面が濡れているはずなので、ホテルの部屋でストレッチも済ませてから競技場に向かった。 道中、地下鉄を待っていると一人の黒人男性に声をかけられた。おそらく「スタジアムはこっちでいいのか?」と言っていたので「イエス」と答えた。 彼のリュックには選手の荷物用ナンバーカードがつけてある。「M35 Eliotto」。同じクラスの選手だ。出場種目は何か聞いてみたところ自分と同じ「ハードル」であった。 同じ種目に出場する選手同士握手交わして互いの健闘を誓った。Eliottoは見るからに速そうな格好いい黒人アスリートであった。

ウォームアップエリアに到着、案の定人工芝はしめっている。ただ走るのに不都合な程ではない。 用意周到の私は雨対策にと持ってきていた大きいビニール袋にバックをすっぽりと入れて、雨が降っても大丈夫なようにしてからアップを始めた。 今日は予選、中国マスターズの反省を踏まえて、とにかく気負わず走ることが目標。アップも気楽な感じで進める。 昨日の張り紙で確認した、45分前にコールルームに行けばバックストレートでハードル練習ができるということがあったので、 そこでのハードル練習は少なめにして7時45分コールルームへと向かった。そこで言われたことはなんと、「8時00分に来て下さい」。 あの張り紙はいったい何だったんだ…と思いつつ、予選だしまあいいかとあと15分あったのでトイレに行こうとした。が、トイレの扉がしまっている。 8時00分開門なのでまだ開いていないようだった。これも日本ではあり得ないことである。仕方ないとあきらめるしかない。8時00分になりコールルームへと向かった。 そこでこんな外国選手を見かけた。雨で地面がしめっている事などお構いなしでべったり地べたに座り込んでストレッチをしているのである。 着用しているスウェットはおそらく下着のパンツまでびしょびしょになっているのではなかろうか。にもかかわらず全く気にすることなくもも上げやら何やらとアップを進めている。 これだと思った。彼らは本当にタフだ。何があろうとただレースを走ればいいんだ。お尻をびしょびしょにしている彼に対して、バックの下にビニールを敷く自分。 何とも対照的に感じられた。万全の対策ももちろん大切。これからも私はそうするであろう。しかしこんなタフさも必要なんだと痛感した。 そんな光景を見つつ,少しトイレも気にしつつコールルームで待機していると、今朝地下鉄であったEliottoが何やらスタッフと話をしている。 時間が来るまではコールルームから原則選手は出ることができない。おそらく彼は「トイレはどこだ?」と聞いているようだった。 そしてスタッフに付き添われてトイレに案内されているように見えた。日本の試合だったら間違いなく自分が先にあの質問をしていたはずだ。言葉の壁を痛感した。 まもなくしてから自分もまねをしてトイレに連れて行ってもらった。

コールルームを出発するのは1組ごとにたった。最終3組だった自分はかなりそこで待たされ、 コールルームを出たのはほぼ競技開始予定の8時30分だった。コールルームは100mのゴール付近に設けられていたので、競技場に入るとそこは100mのゴール地点。 そこに荷物を入れるカゴが置かれてあった。そこからの流れがよく分からなかったが、バックストレートで練習してもOKとのことだったのでとりあえずスパイクをはいて Tシャツ、ロンタイのままバックストレートに行ってハードル練習をした。身体は軽い。しかし、ここのハードルのセッティングは間隔がめちゃくちゃだ。 おまけにスタートラインはどこか分からない。明日もあまり期待しない方が良さそうだ。まあいいやと練習を続けているとスタート地点に移動するような気配になってきた。 まだユニフォーム姿じゃないよと思いつつ、ゴール地点のカゴの方まで戻ってTシャツとロンタイを脱いで、ホームストレートを横切りスタート地点まで歩いて行った。 そこでスタブロからの練習を1回行い、予選のレースを迎えた。「気負わず普通に走ればよいだけ」。少し気持ちが入ってなさ過ぎたようにも思うが、 無難にレースを展開、終始やや強めの向かい風を感じたので、いっそう集中力を欠いた状態でのレースとなったが余裕をもって1着でフィニッシュ。タイムは14"69。向かい風1.6m。 流したとしてもタイムが出ていない…。日本の高速トラックとはやはり違うのかも、と思ってしまったがとりあえず予選は通過。今日はこれでOK。予選の結果はタイム順に、

であった。 Eliottoは今朝話しかけられたいかにも速そうなイギリス人、Emicaは髪型が独特のフランス人、申込みタイムの15"51はいったい何。 Collinsはブダペストでも2本とも一緒に走った顔見知りのイギリス人。そして私。決勝はこの4人での争いになりそうだった。

その後M40クラスのレースが行われ、このクラスに出場している寺田さん、平岡さんを含む4人の日本人のレースを見てからホテルに戻った。 この頃になると地理的なこともばっちり頭に入っていたので移動も難なくできるようになっていたし、 昼ご飯の買い物も食べたいものをうまく買えるようになっていた。 サンドイッチ(フランスパンの)とサラダをお昼ご飯にして、部屋で少し横になった。 予選のレースでの疲れが結構あったようなので、昼寝をしようと思ったが全く寝付けない。 身体がまだ試合の名残で少し興奮しているようだ。いつもであればすぐに眠りにつけるのに、どうも寝付きが悪い。いろんな事を気にしすぎていたのかもしれない。 4番通過という予選の結果も気になってしまっていた。

結局1時間ほど横になってから、気分転換した方がよいと考え、2回目となる市内観光に出かけた。 リヨンは日本のまとわりつくような暑さは全くなく、からっとしていて過ごしやすかった。歩いて脚が少し疲れたが、リヨンの街を歩くと楽しい気分になれた。 良い気分転換になった。夕方になり夕食の調達もし部屋に戻った。そしてこれまでのことも踏まえて明日の事をじっくり考え、それを全部書き出した。一部を抜粋。

とにかく自分を洗脳していった。中国マスターズでもメンタル面から来るミスをしているだけに、メンタルが一番大切であると考えた。 その夜は、昼間は寝付けなかったが、散策してほどよく疲れたことや、時差の関係もあったのか、サマータイムでまだまだ明るい20時30分頃には眠たくなり眠ることにした。 昨日、一昨日と比べるとずいぶんぐっすりと眠ることができた。

決勝

決勝のレースは14時30分からなので朝はゆっくりできた。とはいえ昨日はあまりにも早くに眠ったので5時30分には起床し朝食が始まる6時30分この日はホテルの朝食をとった。 パンがとにかくおいしい。野菜がなくハム、ベーコン、卵とフルーツのみだがこれで十分。部屋でもう一度メンタルトレーニングの仕上げをして、 今日はこれで行くと決めていた「ナガプラ」を来て競技場へと向かった。昨日とは違い、この日競技場に着くと400mの決勝が次々と行われていた。 昨日とは盛り上がりが全然違う。 スタンドにはM40の準決勝を終えた平岡さんがいた。 平岡さんからレース前の動きについて、 今日もほぼ昨日と同じだったと確認することができた。 そしてそこでの会話はさっと済ませて、TICのある室内競技場へと一人で向かった。

ここで少し休んでから、ストレッチまでのウォーミングアップをすることにしていた。サングラスをかけて、イヤホンをして、完全に自分の世界へと入っていく。 ストレッチまで済ませたら、人工芝のフットサル場へ。周りのことは一切気にしない。完全に自分のペースでアップが進んでく。昨日とは全く違う。 朝から少し脚が張っていたので、何度かセルフマッサージをしてほぐしていたが、そんな疲れは全く関係ないほど身体が動く。脚の張りなんか関係ない。 そんなことは気にせず「自分の力を出し切る」。これが大切なんだ。完全にその状態に入ることができていた。すべて予定通りにアップを済ませてコールルームへ。 ここでバックにぶら下げていた選手IDがなくなっていることに気がついた。辺りを見回してみたがどうやら近くにはなさそうだ。 しかしこのときの自分は動じなかった。選手IDなんかなくたってどうにでもなる。今は自分の走りをすることだけを考えれば良い。 コールも終わり、昨日と同じゴール地点でユニフォーム姿になって、バックストレートへ。ペットボトルの水だけを持って行った。

バックストレートでは昨日はなかった、選手を集めての説明が行われた。もちろん英語。おそらく、14時25分までここで練習して良いということ、 その後スタート地点へ行って現地で1回だけ練習して良いということ、この2点の説明があった。「現地で1回」という点に関して、数人が不満をもらしていた。 Collinsは今はホームストレートで何もしてないのであっちで練習できるのではと問い合わせていたが、役員の答えは「ノー」だった。 そんな会話を聞きながらも自分は自分の事に専念。そこでハードル練習をする気はさらさらなかった。短いダッシュを2本だけ行った。 これについては長田での最終練習の時に確認済みであった。つまり、まずアップ場でやるところまでやって、 30分休憩を挟んでから本番を想定してのハードルという形でシュミレーションをしていたのだ。このときはダッシュ1本、スタブロからのハードル1本やるだけで十分走れた。 だから今日もバックストレートではダッシュを1、2本、現地でスタブロから1本、これで十分だと確信したので、ここでも完全に自分のペースを保てた。 自分は3レーン、最大のライバルであろう予選トップのEliottoは隣の4レーン。バックストレートで初めてEliottoのハードリングを見ると彼は私と同じくリード脚が右脚だった。 ハードル選手はレーンの中でリード側によって走る傾向があるので、もし左脚リードなら接触する可能性が高かったが、同じ右リード同士なのでそれは回避できそうだった。 とても冷静に判断できた。

靴紐をもう一度しめなおし、念には念を、スタブロの位置を少し2レーンよりにセットして準備OK。 気合い十分、かつ冷静な状態でスタート地点に立った。 レース展開はいつもと一緒、前半リードされても後半逆転すれば良い。そして決勝のレース、フライングなしで一発でスタート。 予定通り出遅れたものの、逆転可能な差。間違いなくいける。後半になり明らかにElliottoが失速してきた。走りながら分かった。 自分はこの8人の中で絶対一番多く走り込んできている。ここから先で負けるわけがない。自信が自信を生むような状態でゴールラインを駆け抜けた。 念願の世界一になった瞬間であった。

すぐに結果は表示された14"05(+1.5)。 自分のハイハードルでの自己記録14"05(+1.2)と全く同じ結果であった。 さらにこの記録はM35クラスの日本新、アジア新でもあった。少し後に振り返って13秒台の可能性もあったんだなとおもったが、この日の自分には勝つことで十分だった。 ブダペストでの惜敗から一年半、予想以上に厳しい展開となったが100%のレースで勝つことができた。2位以下には、2着Emica(仏)14"22、3着Collins(英)14"24、Eliotto(英)14"26 の順となった。ここ数年のマスターズ陸上のタイムと比較してもレベルの高いレースであった。

表彰式

表彰式は決勝のレースの後16時45分からあった。待合室ですっかり顔なじみになったイギリスのCollins(Liam)と話をする。 「2016年世界マスターズ、オーストラリア(パース)大会はイギリスからは22時間もかかってしまうので出られそうにないが、室内では今年も7秒台で走っているので、 2017年室内世界マスターズ、韓国(大邱)大会には出場したい」とのことだった。さらに練習については「この2年間は筋肉がつきすぎるのでウエイトトレーニングをやっていない、 週に3回練習をしている。」と言っていた。私が数学の先生をしているというと「それは日本に帰ったら喜んでくれるね。」と言ってくれた。 私と同じ1978年生まれの彼と英語でこれだけ話ができることが、なんだかとてもうれしかった。 世界マスターズ大会は、陸上という共通点を通じて、世界の人たちとつながれるところだ。陸上だけではない充実感がそこにはある。 4位に甘んじたEliottoは38歳、来年の大会で一緒に走れなければ一つ上のクラスに上がってしまう。 彼とは「一緒に走れて本当によかった。また一緒に走りたいです。」と伝え固く握手を交わした。 表彰後は約束通り寺田さんとその奥さん、平岡さんの4人でフランス料理のレストランへ。楽しいひとときを過ごして、 TGVでパリに帰る彼らを見送ってからホテルの部屋に戻った。

これからのこと

山あり谷ありではあったが、決勝では会心のレースが出来て目標達成。今回は大満足。 さて次はどうしようかとなるが、今年はこの後、近畿選手権、全日本実業団を予定している。シーズンベスト14"36は更新したい。 来年はといえば、今年我慢した兵庫選手権。兵庫選手権を最大の目標にしてV10達成を目指す。マスターズ関係では、2016年オーストラリア、パース大会に行く予定はなく、 その次2017年室内の韓国、大邱大会は近いのでいけなくもないが今のところそれに対する興味はそんなに高くはない。 その翌年2018年はヨーロッパ開催(イタリア?、スペイン?)らしいので少し興味はある。しかしいずれにせよまだもう少し先の話。 35歳になって最初の2回に出場したので今回で一応一区切りつける。次回はM40のクラスになってからか、どうするかは分からないが、 必ずまたいつか世界マスターズに出場したいと感じていることに間違いはない。 長々と体験記を綴ってきたが、最後に、今大会の自分のテーマソングにしようと思っていた曲の歌詞の一部を紹介して締めくくる。

「幻聴」 Mr.Children

やっとひと息つけるねって思ったのも束の間
また僕は走り出す
決してのんびり暮らすのが嫌いなわけじゃない
でももう一度走り出す
観覧車に乗っかったときに目にしたのは
地平線のある景気
そこで僕は手に入れたんだ遮る物のない
果てなく広がる世界
現在8月17日1時36分、アムステルダムから関空に向かう飛行機の中。明朝9時00分頃に到着予定。 その後長田のグランドへ報告に行く。それから家に帰ろう。前述、決勝の後にしたかったこと、 マスコットのライオンは決勝後TICに買いに行ったもの残念ながら売り切れ…。 やっぱり走る前に優勝するつもりで買っておけばよかったかな。

2015/8/29 近畿選手権 (鴻池)

世界マスターズで満足のいく結果が出たので、自分でも十分に理解していたが、やや気が抜けていた。 いつも通りの練習メニューをたてて、いつも通りにそのメニューを消化して準備をしたが、そこに気持ちが伴っていなかった。気が抜けていた。 しかし、今日の結果を受けて次の試合に向けての気持ちに火がついたように思う。1999年(大学3年)の時に近畿選手権に初出場して以来16年ぶりの予選落ち。 決勝まであと0"04秒足りなかった。2012年、久しぶりに表彰台を逃して5位になった時、表彰式を見てこれではいかんと思った。 決勝を逃して予選落ちした今回は、決勝のレースをしっかりと見届けてこれではいかんと気持ちを引き締めなおした。決勝のレースは追い風1.5mの好条件で行われ、 好記録が連発していただけに「ここで走りたかった」との思いを強く持った。勢いのある学生や若手の実業団選手たちとしっかり勝負がしたい。

気持ちが抜けていたとはいえ、14"6台というのは自分の今の力からして良くも悪くもないタイムであるとの認識もあるので、 結局は「力不足」ということなのだとも思った。根本的なところを見直す必要もありそうだ。ず~とそんなことを考えてはいるのだけど。 さて、今季の110mHのレースは今のところ9月の終わりにある全日本実業団で締めくくろうかと考えている。試合期が長くなりすぎることはあまり良くない。 世界マスターズが終わって抜けていた気持ちに火がついたことで、近畿選手権に出場した価値は十分にあった。 あと4週間、やれるだけのことをやって岐阜、長良川で行われる全日本実業団では現在のシーズンベストである14"36を上回る走りをしたい。 それくらいのタイムが出れば決勝に絡んでいくことも可能だ。

2015/9/25 全日本実業団 (長良川)

近畿選手権から4週間、できることはやって臨んだ15回目の全日本実業団、今年から「準決勝」が新設されて2本走る機会を得たが、満足の行く走りは出来なかった。 予選はやや強い向かい風の吹く中で14"61。準決勝に期待したものの追い風に変わったにも関わらず記録を落として14"65。 記録、内容ともに全く満足できない。近畿選手権での惨敗を受けて、やる気に火が付いたと前述したが、やる気だけでは4週間で変えられない部分もある。 幸か不幸か、長年やっていると試合前の練習の感じから大体の結果が予測できてしまう。いい時はそれがプラスに働くので良いが、悪い時はそれがマイナスに働くこともあるだろう。 14秒前半は出せた可能性は十分にあったが、この日13秒台には届く可能性は自分の中ではなかった。 長田高校の横断幕にある「夢を追え」というフレーズを私自身が最近多用している。 まず「夢」を持つこと。そしてその「夢」は絶対に実現できると、自分が信じていること。この2つがなければ夢は実現されない。 今の自分はどうだ。昨年の最後の試合のコメントでは世界マスターズより13秒台への挑戦の方が自分にとって重要だと書いているが、 いざシーズンを迎えてみると試合前の周りからの応援等もあって、結果的に言えば、世界マスターズに重きを置いてシーズンを送ることになった。 13秒台を本気で狙えると感じて出場した試合はなかったかもしれない。その試合の当日に、「今日の感じなら13秒台がでるぞ」と自分が思えていなかったら絶対に13秒台は出ない。 そんな状況を果たして来年の自分は作れるのだろうか、となるわけだが、「自分にはできる可能性がある」と、私は本気で思っている。 そして今はその可能性を実現させるためのプランを練っている段階。いつもの年なら10月下旬までシーズンを引っ張ったりもしているが、 今年はそんなことはしない。長い時間をかけてじっくりと肉体改造を行って、来シーズンのどこかで「今日なら13秒台で走れる」という試合を作ること。 これが今の自分にとっての最大の目標だ。

タイトルが気になったので購入して読んだ本がある。「あなたは半年前に食べたものでできている(杉山 彩)」。 内容的に特に目新しいものはなかったが、とにかくタイトルに触発された。当たり前の話であるが、今の私の体は半年前に食べたものでできている。 来年「今日なら13秒台で走れる」という気持ちで試合を迎えたいのであれば、その半年前から試合は始まっている。 その試合の日の私は、半年前以降に生まれた細胞によって成り立っている。半年間かければ体が変えられる。 今まで以上に食生活やトレーニングにこだわりを持ってやっていけば自分を変えることができる。そんな風に思った。 まだ正式発表されていないので定かではないが、関西実業団(長居?)、全日本実業団(長居?)、兵庫選手権(ユニバー)。 原点に返って、この3つの試合にピークを合わせられるよなスケジュールを組んで、来年は本気で13秒台を狙う。 「37歳で自己新を更新して初めての13秒台!!」実現出来たらすごいことだと思う。 それが、兵庫選手権の決勝だったりしたらもっといいな。 そんな夢を現実のものにできるよう、13秒台への挑戦を続ける。いろんなことに対して妥協を許さず取り組みたい。

2015/10/3 神戸市総体 (ユニバー)

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