2024 (R6/社24/45歳)

2024/4/4 神戸市記録会 (ユニバー)

絶好のコンディションにもかかわらず23秒41。結果だけ見ると散々なものだけど、自分の中では、ここまでの流れをトータルで考えると、「よし」と出来なくもないレースだったと思っている。 昨年8月から続いた左脚の坐骨神経痛は、シーズン後の移行期を経てもなかなか取れず、最終的には投薬治療も行って完治したのは2月頃だった。 坐骨神経痛を我慢しながら、でも走れなくはなかったので冬季前半をなんとか乗り切った。 痛いところがなくなった2月は非常に順調にトレーニングを消化できたものの、その反動か、3月になって今度は右脚のハムストリングス、その次に右の坐骨結節に痛みが出るようになり、 トレーニングンの質と量を上げたい3月前半から中旬にかけて、それらを上げることができず、抑え気味のトレーニングしかできなかった。 その頃は、今日の記録会を欠場したほうが良いのかもと思っていたが、 いつも通りやれることは全部やって、なんとか走れる状態でこの日を迎えることができた。

心の中にあった不安は、「痛みを我慢して出場することで状態が悪化することへの不安」と「仕上がっていない状態で出ることで得られる結果(タイム)への不安」のふたつ。 前者は解消でき、後者は解消できなかった。 それで出ないのは自分に対する敗北だと理解して、 今年もやはり神戸高校の生徒と一緒に走るレースということもあって出場を決めた。

生徒との対決は完敗。22"02と22"07で走られたら勝ち目がない。2人とも1秒程自己ベストを更新している。一方の私は追い風1.5mにもかかわらず、 向かい風で記録した昨年の23"11をも大きく下回ったがそれは想定内だ。今日走れたこと自体でよしと思いたいし、最高の練習になったことには間違いない。

45歳で迎える今年は、5歳刻みでクラスが変わるマスターズ陸上においてはM45の最初のシーズンとなる。 数年間待ちに待った、マスターズの世界記録の更新を狙うべく迎えたシーズンなのだ。 今年の目標は大きく3つ

昨シーズンの終了後にも書いた。 神戸高校で夢を追い、夢を叶える。必ず叶える。自分を信じて。やればできる。

2023/4/13 春季記録会 (ユニバー)

仕上がりが遅れているとの自覚があり、練習や当日のアップでの感覚から15秒台後半が出てもおかしくはないという不安もあったが、 強い向かい風の中での15秒23。感覚の悪さの割には思ったほど悪くもないようだと思えた。

昨年の夏以降は、繰り返し発症する腰痛や、なかなか治らない坐骨神経痛などをふまえて、 学生の頃からずっと重要視してきたスナッチ、スクワットなどの一般的なウエイトトレーニングを一切やめて、 ワールドウイング神戸で行う初動負荷トレーニングに専念し、 週3、4回のペースで通い詰めた。 初動負荷トレーニングを行うことで、確かに肩甲骨、股関節周辺の柔軟性が格段にアップして、 トレーニング後は、すばらしく「体が整った」感覚を得ることができている。 一方で、自身の記録の向上、維持に大きく貢献してきたと思っている従来のウエイトトレーニングを手放すことへの不安は事あるごとに頭の中に浮かんできた。 本当にウエイトをしなくても大丈夫なのか。初動負荷一辺倒で大丈夫なのか。 この冬何度も自問自答してきていることだけれども、「進歩とは変わること。変わることが進歩」なのである。

「最大の障害は実は自分自身の中にある」のだ。この言葉はこのHPの本のまとめの1冊目に登場している。 失うことを恐れて変化することを拒絶してはいけない。もし本当にダメだと感じたらまた変化すればいい。 この期に及んで半信半疑の部分もあるが、ここまで来たら突き詰めるしかない。

仕上がりの遅さの自覚と自信のなさから、出場することに対して「しんどい」と感じることもあったが、 走ってみたらやっぱり面白かった。こうやって試合の感想文を執筆している時間もまた楽しいものだ。 歳をとったら体力は次第に衰える。それでもやっぱり自分のパフォーマンスに限界を設けずに、 今の自分ができることをきちんと積み重ねていくしかない。 進歩とは変わること。変わることが進歩である。今やっている取り組みを継続して、目標に挑みたい。

日月大会名場所
4/29大阪マスターズ(J)YF長居
5/3群市区対抗(H)三木防災
5/12三重マスターズ(J)三重交通G
6/2関西実業団(H)YS長居
6/8神戸市記録会(J)ユニバー
シーズン前半の予定

2024/4/29 南部忠平杯大阪マスターズ(YF長居)

マスターズの年齢区分上のクラスがひとつ上がって今年からM45での参戦となる。 従来の日本記録15"12を0"44更新したものの、私にとってはこれがスタート地点。 目指すは今日の記録からはあと0"42さきにあるM45世界記録14"26である。 振り返ってみると、4月にジュニアハードルのレースに出場すること自体が初めてで、 これまでは4月はおろか5月にもジュニアハードルのレースに出場したことがない。 14"68というタイムに物足りなさを感じるが、まだ4月ということを踏まえると、 それほど気にする必要もないような気がする。まだ4月。これまでそうであったように、これから徐々に状態は上がってくるはずだと信じたい。

今後はハイハードルとジュニアハードルのレースが交互にやってくる。 次は中3日あけて群市区対抗陸上。今日のレースを試合前の刺激入れとして、3日間は休養と初動負荷に充てる。 目標は全日本実業団参加B標準である14"80。 簡単ではないが、出せなくもないタイムだと思っている。

2024/5/3 郡市区対抗 (三木防災)

9台目で抜き脚を強く当てて大きくバランスを崩して、なんとかかんとかゴールした決勝のタイムはさておき、 追い風でも15秒台に低迷していた昨年のことを考えれば、向かい風1.6mの中での予選の14"95はまずまずの結果だったような気がする。 特別切れ味がある状態ではなかったが、走っっている感覚は悪くなかった。 今後も週2回のスプリント&ハードル練習と週3,4回の初動負荷トレーニングを原則に、 トレーニングに強弱をつけながら、目指すべき日を最高の状態で迎えたい。 来週末に三重マスターズをいれているが、もちろんここでも最善を尽くす。 長期的な流れの中では、6月第1週、第2週の関西実業団と神戸市記録会でベストパフォーマンスを出現させたい。

2024/5/12 三重マスターズ (三重)

先週は月曜に大阪マスターズ、金曜に群市区。イレギュラーな形で2試合に出場したが、 走り込みが不足していると感じ、原則走るのは週2回という自分の中でのルールに反して群市区の翌日土曜日に200mを3本走った。 2レースのダメージは相当大きかったようで、ややペースを落としての200mだったが、かねてから不安があった右の坐骨結節の状態がかなり悪くなった。 中3日あけて次の練習は水曜日。仕事の疲れからか腰がガチガチで、年に数回ある神戸高校グラウンド独特の超強風の影響もあり、満足のいく調整練習ができなかった。 それでも木曜、金曜、土曜とワールドウイング神戸に通い詰めて、少しは状態が良くなったかなと思い三重に向かったが、 三重でも数値以上に強く感じた向かい風と腰の硬さもあって、まったく満足できる走りとはならなかった。 「よし」と思える調整ができていても、「よし」と思える走りができるとは限らないが、 「よし」と思える調整ができていないならば、「よし」と思える走りはできない。 レース直前の段階で、かなり腰がガチガチだったので、現地棄権をしてもよかったがそれができないのが私の性格。 最悪の事態が頭をよぎったにもかかわらず結局走った。故障せず無事に走り切れたことが何よりだ。 動いていないと感じることで力んで早く走ろうとする悪循環だったような気がする。

終わってみれば試合を詰めて入れすぎたかなというのが率直な感想だが、計画を立てる段階ではいけそうと思ってしまうから仕方ない。 けど、毎度のことながら走っただけの価値は必ずあると思っている。 ハードル上でもっと進まねばと強く感じたので、ミニハ―ドルを用いてそんな練習をしてみるのもありかなと思った。 前半の最大目標である、関西実業団まで3週間ある。攻めるか、守るか。難しい選択になるが、「よし」と思える調整がしたい。

2024/6/2 関西実業団 (YS長居)

三重マスターズ後は、腰と右の座骨結節、ハムストリングスの状態がなかなか良くならなかった。 それなりに練習はできたが、練習ができたが故に練習するたびに状態が悪化した。 3日休んで、また練習ができるような感じになってきたところで練習をして、また状態が悪化した。 そんなルーティーンを繰り返して、まったく自信が持てないながらも試合の前日に大阪入り。 本数を制限してウォーミングアップを行って、今風の言葉でいうところの「ワンチャン」に期待して走ったが、 心身共に10台のハイハードルをクリアしてゴールにたどり着ける状態ではなかった。 2台目をクリアしたところでレースをやめた。「ワンチャン」の可能性が極めて低いことは分かっているのにスタートラインに立った。

結果論ではあるが、前回の三重マスターズと今回の関西実業団には出場するべきではなかった。 1か月間、こんな結果を得るために相当なエネルギーと時間とお金を費やしてしまった。 「あきらめないこと」は確かに大切である。でも「やめること」も時には重要である。 三重マスターズ後にきっぱりとあきらめていたら、今頃は身体の状態も回復して次のトレーニングサイクルに移行できていたかもしれない。 「あきらめないで最後までがんばった」から、いまだに体の状態は良くなく、そのうえ何ひとつ満足のできる結果が得られなかった。 「自分を信じて最後まであきらめない」という言葉は聞こえがいい。 そのようにあることが強さであり、そうできないことは自分に対する敗北だという、 昭和的な価値観をもって頑張ってきたが、気持ちややる気だけではどうしようもできない事情はやはりある。 今回に関しては、行動においては最後まであきらめずに頑張れたが、 心の中ではそうできていなかったような気もする。 「心身共に」走れる状態ではなかった。

ハムストリングスの肉離れや、急性腰痛を発症するかもしれないという怖さもあったので、 完走すらできなかったが、今日という日を大きなアクシデントに見舞われることなく終えることができてホッとした。 これでしばらく気兼ねなく休める。 来週の神戸市記録会には申し込んではいるが出場しないことに決めた。 今後は2週間かけてまずは心身をリセットする。 その後4週間でもう一度基礎的なトレーニングをする。 そしてその後の4週間で競技的状態に作り上げる。 8月23日、世界マスターズ決勝の舞台を心から楽しめるよう、 「よし」と思える状態を作り上げて「よし」と思えるレースをする。 心から陸上競技を楽しみたい。

追伸

楽天の期間限定ポイントの期限が迫っていたので、楽天ブックスで「QUITTING やめる力 最良の人生戦略」という本を買った。 以前読んだ[52 . GRITやり抜く力(アンジェラ・ダックワース)]では、やり抜く力(グリッド)の大切さが述べられている。 一方、今読んでいる本の中では、 「グリッドは美徳であり、クイットは罪であるという考え方はどのように社会に定着したのか」と問題提起したうえで、「やめること」の重要性を説いている。 自分の中に迷いがあったからこそこの本を手に取ったのだろうけど、結局実践できずに終わった。 諦めずに頑張ることも、見切りをつけてやめることも、どちらが正解かは終わってみないと分からない。 結局は自分が選んだ行動を正解だと思うことが大切なのかとも思う。 まだ半分くらいしか読めていない。最後まで読んでじっくり考えてみたい。

2024/7/28 中国マスターズ (岡山)

不完全燃焼に終わった関西実業団後、8月23日世界マスターズ決勝の日を目標に再スタートを切った。 長い目で考えて、あせらずじっくりと。 まず身体の状態を整えて、そしてその後は基礎からゆっくり身体を作り直した。 練習日誌には日々のトレーニング内容に加えて、その時々の感想を記している。

途中から春先同様の痛み(違和感)を感じることもあったが、主観的には計画通り80%~90%の仕上がり具合で中国マスターズを迎えることができそうだ。 期末考査1週間前に入った第4週以降は、仕事や競技会終了後であっても出来る限りワールドウイング神戸に通い、初動負荷トレーニングを徹底的に行ってきた。 身体の状態は確実に変化している。この取り組みを110mHのパフォーマンスに結び付けることができるかどうか。 ここで手ごたえを感じておきたい。目標タイムは14秒50。 (以上7/22記述)

身体の中の複数の箇所に不安を抱える中でのレースとなったが、痛みによる動きの制限をされることなく走り切ることができた。 しかし、手ごたえを感じることができたかどうかといえばそれは微妙。 練習中に感じていたハードル走の感覚の良さをこの日は全く感じられず、 スタートからのもたつき感も強かった。 主観的には「遅い」と感じるレースであったが、そんな中での14秒85と考えればそれほど悲観的になる必要はないのかもしれない。 自分の中では改善の余地と伸びしろをおおいに感じることができた。 どう考えてもスタートからの4歩が課題だ。あれほどもたついた中では中盤どんなに頑張ってもタイムは上がらない。 もう一度自分の持っている引き出しの中から今の自分に最も合う型を考え直したい。 スタートからの4歩の改善さえできれば、一気にタイムを短縮できる。

今後は、もうひとつ、ふたつギアを上げなければならないが、その過程では当然故障のリスクを伴う。 身体の状態は現状維持、もしくは回復させつつ、スピードレベルを向上させることができるかどうか。 今日も競技が終わってからすぐに右臀部のアイシングを行い、お世話になっている整骨院の先生のところへ行って不安な部位をほぐしてもらった。 今日もこれまでも、やれることはすべてやっている。

世界マスターズまではあと3週間ちょっとあるが、その期間にグラウンドで走る練習ができるのはたったの6回。 その6回の練習でのひとつひとつの取り組みの意味を十分に理解して、酷暑の中であっても、 1本1本の試技を絶対に無駄にしてはいけない。 確固たる自信を得てスウェーデンへ向かいたい。

2024/8/22,23 世界マスターズ (ヨーテボリ)

M45では初めて、通算では5回目となる世界マスターズ。 決勝はスカンジナビアの嵐の中でのレースとなった。 向かい風3.1mとは到底思えぬほどの強風、強くたたきつける雨、15度程度の気温と、 コンディションとしては最悪だったが、今の私にとっては待ちに待った最高の舞台。 その場に至るまでの過程においても、レースのその瞬間においても、最善を尽くしたつもりではある。 しかしながら、結果は15秒台での2位。無念。 選手権獲得者は、リヨン、マラガ、タンペレで顔なじみとなっているMensah Elliott(英国)。15秒00での優勝であった。 6月にふくらはぎの肉離れを起こして、ハードルのレースはこの世界マスターズが今季最初だったとのこと。 ウォーミングアップを控えめに行う様子からも身体の状態の悪さがうかがえたが、そんな中でも私を含む他を寄せ付けない力強い走りを見せた。 本当の強さをまじまじと感じさせられた。 最悪の環境、不十分な身体の状態の中で見せた彼のここ一番での集中力は、私のそれを上回っていたようも感じた。 振り返ってみれば、その点において自分の中のどこかに最後の最後に集中しきれなかった甘さがあったような気もする。 最善を尽くしたつもりであっても、まだまだ足りない部分があった。 無念の2位。残念な結果となってしまったが、今回も気持ちが新鮮なうちに今大会を振り返ってみよう。

試合を迎えるまで

45歳で迎えた2024年のシーズン。M45世界記録である14"26を更新するとの大風呂敷尾を広げて臨んだが、事はそう簡単には運ばなかった。 4月末の大阪マスターズを14"68で走ってM45日本記録を更新、5月3日の群市区予選で向かい風1.6mの中ハイハードルの14秒台。 しかしその後は、坐骨結節の痛みと強い腰の張りのために思うようにトレーニングを進めることができなかった。 前半最大の目標としていた6月上旬の関西実業団はやむなく途中棄権。 そこからは、8月23日世界マスターズ決勝の日を目標に長い目で考えて、あせらずじっくりと再スタートを切ることとなった。 まず身体の状態を整えて、そしてその後は基礎からゆっくり身体を作り直した。 練習日誌には日々のトレーニング内容に加えて、その時々の感想を記している。

第8週目の週末に岡山県で行われた中国マスターズは、4月の大阪のときよりやや強い向かい風の中で14"85。 タイムに納得いかなかったが、割と走れているなと感じた中での大阪の14"68に対して、走れなかったと感じた中での岡山の14"85だったので、 感覚的な仕上がりと、これからの改善の余地は大いに感じることができた。 試合で走ることで身体の状態が悪化することを強く恐れていたが、幸いその事態は回避することができた。

強がりでもなんでもなく、確かに間違いなく順調に競技的状態に仕上がっているのに、様々な不安が頭から離れない。 右の坐骨結節付近は痛みはしないが時々突っ張る。長時間座っていると腰がだるくなり気持ち悪い。 岡山の前ごろから左足の踵が少し気になっている。軽い足底腱膜炎だろう。コロナが流行っているそうだ。感染したらどうしよう。 競技会へのオンラインチェックインを済ませたが本当にこれで大丈夫か。 毎度のことながら何をやっても不安がつきまとう。

今回は妻と2人の子どもとともにスウェーデンへと向かう。 ヨーロッパでの開催、中2と小4というタイミングがちょうどよいと思い、家族旅行も兼ねて行くことになった。 だからいつも以上に失敗はしたくない。念には念を入れて身体のケアを行ってはいるが、故障への不安が尽きない。 気楽に行ける一人旅とは違い、道中や現地での過ごし方についても、いつもとはちょっと違った形で考えておかなければならない。 その中で、機内で暇しないようにYouTubeMusicの1カ月無料ファミリープランに加入した。 パリオリンピックのNHKテーマソングになっていたこの曲もアプリに勧められてダウンロード。

「舞台に立って」 YOASOBI

さあ 待ちに待った舞台に立って 高鳴る鼓動 挑戦の合図
何度も何度も イメージしてきた どんな自分も超えてみせる
大きく吸った息を吐いて もう一度目線を上げれば
かさぶたばっかの毎日も 今に繋がっていると思えた
そうだ夢に見ていた景色の 目の前に立っているんだ

じっくり聴いてみると、私の今の気持ちにぴったりの曲だった。 今回の私のテーマソングもこの曲に決めた。 こんな気持ちで決勝のスタートラインに立ちたい。 スタートしてしまえば、あとは自分がやってきたことをきちんと表現すればよい。 必ず結果はついてくる。それだけのことをやってきた自身はある。 手元になかったミスチルのこんな曲もダウンロードした。

「ヒカリノアトリエ」 Mr.children

たとえば100万回のうち たった一度ある奇跡
ただひたむきに前見てたら 会えるかな
空にかかる虹を今日も信じ 歩き続けよう
優しすぎる嘘で涙を拭いたら 虹はほらそこに
過去は消えず 未来は読めず 不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら 今 今だけがここにある
きっと虹はもうここにある

8月17日。いよいよ出発の日が迫って来たが、いつも通り、「今だけがここにある」のだ。 計画している今日のタスクをひとつひとつ確実にこなしていくのみである。 7:30から最後のハードル練習。間違いなく状態は良い。「正射必中」の精神で自分の力を出し切ろう。 終了後ワールドウイング神戸へ。約1時間身体をほぐした後、整骨院でケア。その後散髪。 予定通り、計画通りの1日を過ごすことができた。 左の踵、右のお尻、腰、雨で低温との天気予報、気になることはいまだにいろいろあるものの、 毎回のことながら、ここまで来たら「待ちに待った舞台」「夢に見ていた景色」を純粋に楽しめそうな気がしてきた。

ヨーテボリへ

前回のタンペレ大会に続いて、航空機やホテルの予約はすべて自分で行った。 インターネットを通じてなんでも簡単に行える便利な世の中である。 自分の身体の状態の悪さに加えて、超円安水準における為替相場の不安定さもあって、航空券をなかなか予約できずにいたが5月の終わり頃に意を決してチケットを購入した。 今回もイスタンブール経由のターキッシュエアラインズ。ヨーロッパまでの4人分の航空チケットはなかなかの価格である。 このチケット購入のボタンをクリックしたからには、「故障で走れなかった」という最悪の事態だけは何としても避けなければならなくなった。 「世界マスターズ応援ツアーinスウェーデン」のツアーコンダクターでもある私は、 メインイベントを中止にはできないし、見せ場なしにする訳にもいかなかった。 メダルを獲得することはこのツアーを成功させるための必要条件ではあるが十分条件ではない。 つまり、最低でもメダルを獲得しなければこのツアーは成功になり得ないし、メダルを獲得したとしても成功するとは限らないのだと思った。 そんな事情がさまざまな心配事をより大きくしていたところもあったかもしれないが、もしひとりで行くことになっていたとしても結局同じだったろうなとも思った。 様々な困難の中でいかに最善の方法を見出して実行できるか。これが世界マスターズへの挑む者がに対する命題なのだ。

8月19日、出発の日も朝からワールドウイング神戸に行って初動負荷トレーニングを行った。 気になる部分は相変わらずあるものの、痛みは違和感は少し気になる程度で筋肉や関節はとても「しなやか」な状態に仕上がっている。 夕方、神戸空港から高速船ベイシャトルで関西国際空港へ。関空を利用するときはこのベイシャトルを私は愛用している。 最短距離で関空に行くことができるし、なんといっても駐車料金が無料なのだ。 悪天候時の船の揺れがデメリットにはなるが、この日は比較的穏やかに関空に到着することができた。 飛行機へのチェックインは、初めて事前にオンラインで行った。 オンラインチェックインは出発の24時間前から可能となる。 座席がばらばらになってしまうことを心配していたが、2人隣同士の座席を2組、比較的近いエリアで確保することができた。 航空機は予定通り21:55に関西国際空港を出発。イスタンブールでの約3時間の乗り継ぎを経てヨーテボリへ。 ロストバッゲージなどの大きなトラブルなく、約20時間で北欧スウェーデンはヨーテボリに到着した。 イスタンブール空港にて荷物を運ぶカートを借りる際、 指示通りに1ユーロコインを投入したのにカートが使えなかったというプチトラブルはあったが、 そこではカード払いに切り替えて再挑戦して、カートを借りることに無事成功。 私の機内持ち込み荷物は、ロストバッゲージに備えて、 スパイクやウェアやマッサージガンなどがパンパンに詰め込められているから結構重たいのである。 1ユーロ(約160円)の損失こそあったが、快適に空港内を移動することができた。

今回の開催地、英語ではGothenburgと書き、日本語ではヨーテボリやイエーテボリというが、 第2回世界マスターズの開催地であり、1995年には世界陸上も行われている。 世界陸上が行われた当時は「イエテボリ」と呼んでいたように思うが、ヨーテボリと書くのが一般的なように感じたので、私は「ヨーテボリ」を採用した。 空港からは高速バスで市内へ。車窓からはレンガ造りの建物が美しいヨーロッパの街並みを眺めることができテンションがあがった。 ホテルで荷物を預けると、次はバスやトラムといった市内交通を利用して競技場へと向かう。 事前に調べた結果、市内交通の1dayまたは3daysチケットを「TOGO」というアプリ内で課金して購入するのが最安だと分かった。 シングルチケットを買った場合はこどもの分のチケットを買う必要があるが、1dayや3daysチケットをアプリで購入すると20歳未満の同伴者が3人まで無料で乗車可能なのである。 この点を含めて、いろんな部分で子どもに対しての扱いが手厚く、福祉先進国家スウェーデンの一端を感じることができた。 さらに、その「TOGO」アプリはとても便利で、今から行きたい駅を地図上で選択すると現在地からの移動手段が瞬時に複数表示される。 地図上での経路、徒歩でかかる時間と乗車時間、現在の自分と乗車しようとしている車両の位置などがリアルタイムで表示される。 しかも、数分間隔で様々な系統のトラムやバスが行き交っているので、待ち時間はほとんどなく本当に快適に市内を移動できた。 今までの世界マスターズでは、市内交通が無料になるパスがもらえたのに対して、今回はそれがなかった点は少し残念だったが、 こどもの交通費がかからず、妻1人分の料金を追加するだけで済んだ点では助かった。 ホテルに関しても、人数で料金が計算されるのではなく、部屋の数で料金が計算されるシステムになっており、 私一人で泊ったとしても一泊朝食付きで2万円程度、合計8万円程度の宿泊費が見込まれたが、 ファミリールーム(4人部屋)に4泊朝食付きで10万ちょっとで泊まれた点も、予算的には大きく助かった。

「TOGO」アプリはとても便利なものだったが、何事においても最初は分からないことが多い。 最初に競技場へ向かうときは、ホテルのフロントにいたマスターズ選手3人組に競技場までの道を尋ねた。 彼らも含めて世界マスターズに参加している人たちには親切な人たちが多い。 本当に丁寧に説明してくれて、「X3」系統のバスに乗るのが最善の方法であることが分かった。 アプリではその他の手段もいろいろと表示されるので、「X3」は自分の中で第一候補ではなく、 トラムの「1」系統や「2」系統という番号の少ない系統が分かりやすいのかなと思っていただけに貴重な情報となった。 競技場の最寄りの駅に到着すると、小4の娘が「今日は練習やから間に合うとか関係ないん?」と尋ねてきた。 おお、少しは分かっているのだなと感じた。 そういえば、出発前に天気予報をチェックしているときに、 観光を予定している水曜日がもっとも強い雨、決勝が予定されている金曜日は小雨との予報を中2の息子に伝えると「観光が目的ちゃうからよかったやん。」と言っていた。 おお、少しは分かってくれていろのだなと感じた。

今大会のメインスタジアムは、世界選手権が行われた大型のスタジアムではなく、郊外にあるコンパクトな競技場である。 マラガの時も、大型のスタジアムはサブスタジアムとなっていて、ややコンパクトな競技場の方がメインスタジアムとなっていた。 リヨンで走った競技場も同じようなサイズ感であった。 選手と観客の距離が近く、陸上競技、世界マスターズを楽しむにはぴったりのサイズである。 ヨーテボリのメインスタジアムは、日本の競技場の無機質感とは対照的に、いたるところに手作り感があって日本では見たこともないようなおしゃれな競技場であった。 トラックについては、この大会に備えて新調されてはいたものの非常に柔らかいタイプのタータンで、硬くて高反発の日本のトラックとはずいぶんと違っていた。 柔らかい路面に常時吹き付ける南からの向かい風も相まって、日本からの出場者は私も含めて、記録が低調であった。 一方ウォームアップエリアとして提供された室内練習施設はとても充実しており、 常設の200mトラックに加えて、直送路、跳躍ピット、投てき練習場、ウエイトトレーニング場などが完備されていた。 練習やウォーミングアップは非常に快適に行うことができた。 この室内練習施設は、寒さ対策が万全ではなかった妻と子どもたちが待ち時間を過ごす快適な場所にもなった。 到着した日は、ここで1時間程度、ストレッチを中心にスプリントドリル、流しを1本、 スタブロの感覚をつかむためにアップシューズでスタートからのスプリントを、出力を抑えて感覚だけ試すように行った。 長時間のフライトの後であり、最後の最後にぎっくり腰になるかもしれないという不安があったので慎重に軽めに練習を行った。 身体は軽いが、いつものことながらあちらこちらに「違和感」がある。痛くはないが気になる。 この日も守りと攻めのバランスを自分なりに考えた中で最善を尽くせたとは思う。 身体に不調を生じさせることなく長時間の移動とこの日の練習を終えることができてほっとした。

ヨーテボリ観光

予選の前日は市内観光の1日。 到着した日と、日本に帰る日を除いた3日間は、1日中雨が降ったり止んだりの天気だった。 やや強めの雨が降ったかと思えば、すぐに弱まったり、晴れ間がのぞいたりという気まぐれな天候。 日本より空気が乾燥しているため撥水性のウェアを着ていれば濡れても結構すぐに乾く。 現地では天気のきまぐれさと、乾燥した空気の影響もあってか、驚くほど傘をさす人が少なかった。雨に対する認識の違いは大きいのだなと思った。 前述の「TOGO」アプリがあればどこへでも簡単に行くことができ、いろんな系統のトラムに乗ることで街並みを堪能することもできた。 夕食は予選のレースに備えて部屋でゆっくりと。 毎回持参しているα米はお湯を注げば15分でいろんな種類のごはんが味わえる。 これに近所のスーパーで購入したおかずを加えてすませるのが私の世界マスターズでのスタイルになっている。 円安でびっくりするくらいお金がかかると脅されることもあったが、安価に物が購入できるスーパーを利用するなどした結果、 それほどお金をかけることなく、快適に過ごせたのではないかと思っている。 夕食の後は、普段ならゴロゴロして眠りにつくだけのところだろうが、トランプの大富豪に少しだけ付き合ってから眠くなってきたところで寝た。 9時頃だったと思うが、窓の外はまだうっすらと明るい。北欧の夏の夜は白い。

予選

たたきつける雨音が聞こえる。 窓から見える大きな街路樹はゆらゆらとやや激しく揺れている。 予想はしていたものの、天候の悪さに少しテンションが下がったが、天候がどうのこうの言っている場合ではなかろう。 本日の予選は、明日の決勝へのダメージを残すことなく確実に通過することが目標である。 スプリントトレーニングを中2日または中3日のペースで行っている現状を鑑みると、 2日続けてのレースに身体が持つかどうかという不安がある。 いつも以上にストレッチなどの準備運動を念入りに行った後、 200mトラックの傾斜が付いたコーナーからの流しを2本、アップシューズで直送路をスタートポジションから2本。ここはいつも通り、身体は軽い。 その後スパイクに履き替えて出力を上げる。 スタブロが日本のものとは異なるため、まずはスパイクを履いた状態でスタートラインからの距離とブロックの角度を微調整。 ハードルなしでのスタートダッシュを1本、5歩でのハードル走を2本、スタートダッシュから1台目までの入りの確認を1本だけ行ってこの日のアップを終えた。 今日はこれで十分。 招集開始5分前にコールルームに到着したが、1組ごとにコールを開始する時刻、終了する時刻、競技場に移動する時刻が細かく定められており少しそこで待つことになった。 競技開始30分前に招集開始というのが大原則なので、12時40分のレースに対しては12時10分招集開始となるが、 1組目が12時10分、2組が12時14分、3組が12時18分となっていた。 私が出場する2組は12時14分招集開始、12時24分招集完了、12時34分競技場へ移動、12時44分競技開始というスケジュール。 合理的で分かりやすい。 前回の世界マスターズではスパイクチェックの場面で苦労したが、今回は世界的には珍しいミズノのスパイクではなく、 世界中で使用されているadidasの「Adizero Rrime SP2」というスパイクを持参していたことと、 なんといってもコールルームの担当者が前回の彼ではなかったので、あっさりとスパイクチェックは終わった。 前回の彼は他の会場で任務にあたっていたそうだ。 12時34分。定刻通りに競技場に入る。この日は気まぐれな天候に恵まれ幸い小雨、ただ間断なくやや強い向かい風が吹きつけていた。 第2コーナー外側に掲げられている青と黄色のスウェーデン国旗は常にゴールとは反対向きになびいている。 皆口々に風向きに対する不満を口にしているが、こればっかりはどうすることもできない。 神頼み運頼み、気にしても仕方ないのだが、気にしてしまうものなのである。 1組が走り終わるまでしばらくその場で待機をしてから現地でのハードル練習を1回だけ行って予選のレースを迎えた。 予定通り2台目まではきっちりと走って、その後はリラックスしてフィニッシュ。 中盤から後半にかけて抜き脚が遅れ気味だなと感じる余裕を持った中でのレース、大きなアクシデントに見舞われることなく無事に通過することができた。身体は軽い。 15秒34は物足りないが想定内。向かい風1.1mとのことだったが、数値以上に向かい風は強く感じた。 予選のレースを終えて、予想通りトラックはとても柔らかく、天候のことも考えると記録への挑戦は無理だと早々に判断できた。 雨、向かい風、低温。条件は皆同じ。タイムは二の次。真っ先にゴールラインを駆け抜けたものが勝ち。明日は勝負に徹しようと思った。 私のタイムは予選全体でトップ。15秒80、15秒90と続いていた。 予選4番目のタイムから接戦を制して優勝したリヨン大会は、中盤でMensah Elliott(英国)選手をとらえての逆転優勝であった。 リヨン大会の予選の夜は、翌日の決勝で何としても勝つためにあれやこれやと思いを巡らせたものである。 一方今回は、予選をトップで通過、しかも2番目のタイムを0.5秒近く上回っていたということで、 敗北への危機感があまり持てなかったように思う。今振り返るとこのことは大きな反省材料でる。 その日の午後、私は部屋でゆっくりと過ごし、妻とこどもの3人は自然史博物館を訪れた。 行動面ではやるべきことを確実にこなすことが出来たが、心のどこかにスキがあった。

決勝

相変わらず外はどんよりとしている。 思い描いていたような「待ちに待った舞台」「夢に見ていた景色」とは少し違うが、いよいよ今日が決勝の日。 昨日より競技開始時刻が1時間遅かったので部屋でゆっくりと過ごしてから、この日も「X3」で競技場へ向かった。 「正射必中」、やるべきことをきちんとこなして、自分の力を出し切るのみ。 ウォーミングアップでは、予選のときよりスパイクを履いてのダッシュ、ハードルをやや多めに行った。 昨日のレースによるダメージはそれほど感じなかったが、アップを進めるにつれて腰に若干の違和感が生じた。 だけどここまできたら失うものはない。気にすることなく室内練習場でのウォーミングアップを終了。 コールルームでの確認の後、競技場内へと案内された。 昨日よりも強い雨と風。 自分でどうすることもできないことを気にしても仕方がないのだが、やはり気にはなった。 「5分後にスタートラインに案内します」。風雨が吹き荒れる中、気の向くままに5分間身体を動かた。 そして、スタブロを予定通りにセットして、1台だけハードルを跳んで、いよいよ決勝のレースを迎えた。 「On your mark」。2レーン隣から、Mensah Elliott選手の気迫が伝わってきた。 自分も十分集中している。 号砲が鳴り1発でスタート。1台目までの8歩はOK。 予定通り先行されたがそれは想定内、ここから追いつくのが自分のレースパターン。 しかし、3台目、4台目とハードルをクリアしていくも全く追いつく気配がない。 これはまずいぞと感じつつも、相手は必ず失速するはずだと自分に言い聞かせて3歩のリズムを刻んだ。 そしてついに、そのままの差で10台目を超えた。 最後の力を振り絞るが、2、3mはあったであろう、私のはるか前方でMensah Elliott選手は両手を高々と振り上げてフィニッシュした。 無念と2位となった瞬間であった。 勝者をたたえ、気持ちを切り替えて写真撮影に応じた。 勝っておごらず、負けて悔やまず。いつも生徒に対して言っているではないか。 真剣勝負、勝つときもあれば負けるときもある。 勝ったり負けたりするから面白い。 だけど正直、レースの直後は負けて悔しい気持ちでいっぱいだった。

今後のこと

「14秒26の世界記録で勝つ」という目標には到底及ばなかったけど、 怪我無く無事に走り切ることができた。 最低限の目標だった3位入賞も果たして、世界マスターズ観戦ツアーの当初の計画通りメダルセレモニーにも参加することができた。 45歳、思い通りにトレーニングを消化できなくなったり、狙った通りのトレーニングに対する反応が得られなかったりする中で、 ベストであるとは思えないけれどもベターであるとは思える最善の取り組みを、気持ちを切らすことなくやり切ることができた。 これがマスターズ陸上なのだ。結果が全てではない。 そんな気持ちをまとめようと、この文章を執筆中だった帰国して3日後の8月28日、昨年度まで一緒に陸上部の顧問をしていた本校OBでもある山中先生が、 「ハードカバーの部報」なるものを持ってきてくれた。 神戸高校陸上部は今年で100周年を迎え、その記念式典の中で話題になったことを覚えていてくれて、 わざわざこの日持参してくれたのである。 この部報は33年間の長きに渡って神戸高校陸上競技部の部長(神戸高校では顧問のことを部長と呼ぶ)を務められた故辻井五十鈴先生が作られたものである。 「ハードカバーの部報」は6冊にも及ぶ大作で、その6冊目の最後のところに「還暦の賦」という文章がある。 そしてそこには、「私の世界ベテランズ大会」という小見出しに続いて、「第5回世界ベテランズ陸上競技大会(現マスターズ陸上競技大会)が昭和58年9月23日~30日の8日間、 中米カリブ海の島プエル・トリコのサンファン市で開催された。(中略)私の還暦(内心は青春)の賦パートⅡとする。」と書かれているではないか。 神戸高校伝説の部長である辻井先生は、私と同じように(辻井先生は退職してからではあるが)世界マスターズに参加されたいたのだ。 そしてまた今の私と同じように、その体験記を記されていたのである。 すぐに、その還暦の賦を読ませていただいた。 当時の様子が生き生きと伝わって来た。 辻井先生は砲丸投と円盤投に出場して2種目で優勝されたのだが、終盤でこんなくだりが登場する。

報道陣はすぐメダル何コとか統計を言う。そんなことどうでも良いんや。 目を吊り上げて、メダル合戦に殴り込みをかけに行ったりしたら、 この大会の良さや、存続が危うくなる。そんな報道キライや。
それぞれが金と暇を作り出し、生活に余裕をもって大会に参加する。 体力・気力を充実させて参加する。 参加できたこと自体に喜びを感じる。 そんなWORLD VETERANSのままで在ってほしいと思う。
[還暦の賦Ⅱ(辻井五十鈴著)]

5回目の世界マスターズとなるヨーテボリ大会の体験記、まとめはこれで決まりだなと思った。 参加すること自体に喜びを感じるということに大いに共感した。 ただしここでいう今の私にとっての「参加する」という言葉の意味は、 「最善の努力をしてできる限りの準備をして参加する」ということである。ただ単に「参加する」のではない。 参加するまでの過程が面白いのであり、そしてまたその過程を経て参加するからこそ意味があるのだと今の私は思っている。

とはいうものの、故障への不安を抱えながら世界マスターズに向けて過ごす日々は、決して「面白い」という言葉で簡単にまとめられるようなものではない。 しかし、そのような不安を抱えながらのトレーニングを含めて、大一番に備えての準備に関わることすすべてが私にとっては「面白い」ことになっているのだなと、今回改めて感じた。 次回2026年大会は「韓国・大邱」で行われる。 その次2028年大会は「イタリア」と「ペルー」が候補になっており、10月頃に決まるそうだ。 「ペルー!?」。 思わずスカイスキャナーでフライト検索してみた。例えばこんなフライトがある。

どちらかというとイタリア開催であってほしいけど、ペルーはペルーでそれなりに楽しそうだなと、調べているだけで少しワクワクした。 2024年のカレンダーも調べてみた。 大邱大会は8月22日から9月3日にかけて行われることが決まっているので、 ここ数年の世界マスターズの競技日程に照らして考えれば、110mHの日程は8月31日が予選、9月1日が決勝となる。 比較的行きやすい日程である。大邱までのフライトも検索してみた。関空から直通。往復2万円を切るチケットもある。 メダル合戦に殴り込みをかけるようなことをしていたら、辻井先生に叱られるかもしれないが、 勝負は勝負。韓国開催になると出場者も少なくなるかもしれないが、そうはいっても今回のリベンジを果たさねば。 M35、M40に続いてM45での金メダル獲得へ向けて、2年後の私は大邱に行っているに違いない。

「PURE PASSION」。今回のメダルに刻まれている言葉である。いい言葉だなと思った。 いつまでも純粋な情熱を持って陸上競技を楽しんでいたいものだが、 マスターズ陸上で110mHが行われるのはM45クラスまでで、M50からのスプリントハードルは100mHになり高さや距離が変わる。 つまり、世界マスターズの110mHに挑戦できるのは最大あと2回ということになる。 韓国、そしてイタリアまはたペルー。残された2回の世界マスターズも全力で楽しめるように、これからも試行錯誤の日々は続く。 今シーズンは、10月に地元ユニバー記念競技場で110mJHと110mHを1本ずつ走る予定。 ここでシーズンベストを更新することが当面の目標である。

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